キャプテン・ビーフハート死去
今日の朝刊を開いたら、以下の記事が目に飛び込んできて、キャプテン・ビーフハートが昨年末に亡くなっていたことを知りました。
町田康「不滅の音、世界遺産級 キャプテン・ビーフハート氏を悼む」(朝日新聞[北海道版]、2011年2月4日23面)
享年69歳、本名ドン・ヴァン・ヴリート、死亡時の肩書きは画家だそうです。
以下、町田さんの記事から。
「キャプテン・ビーフハートの音楽は、大多数の、消費者は王、と思いこみつつ、その実、飼い馴らされた、砂糖菓子を最上の美味と心得ている感覚の奴隷の口に当然合わず、当時は探すのに随分と苦労したが、いまは簡単に入手できるので、心が動く、真に感動することを厭わぬ人はぜひとも探していただきたい」
町田康さんは、もちろんパンクバンド「INU」の「町田町蔵」として我々の前に現れ、その後作家となった人。INUの頃から、彼の音楽にはスタイリッシュな「パンク」に収まりきらないものがありましたが、こうしてキャプテン・ビーフハートのことを語っておられるのを読みますと、なるほど、INUの『メシ食うな』の反・大衆社会/反・消費者主権的な混沌の背景にはそれがあったか、と納得します。
もう一点感慨深いのは、今から33年前、町田さんにビーフハートのことを教えたのが「当時、大阪大学の学生だった科伏さんという人」だという箇所です。漢字でたった二文字「科伏」とはペンネームなのか本名なのか、こう書いてどう読むのかもいまもって知りませんが、70年代末の音楽雑誌で先鋭的な記事をお書きになっていたのを一度か二度、読んだ記憶があります。僕も大学生になったら、レコード屋でバイトしながら語学だけはまじめに勉強して、こういう先鋭的な批評の書き手に「なりたい」と夢想したままこの歳になってしまいました。
記事には、キャプテン・ビーフハートの最高傑作『トラウト・マスク・レプリカ』のジャケ写と、町田さんの物静かな紳士然とした顔写真が添えられています。
死んで文学的考察の対象となったビーフハート。でも歌詞カードの英詞は難しくて歯が立たなかったのを思い出します。合掌。
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かつて美術評論家のさわら木野衣さんが、トム・ウェイツを聴いて想起するのはルイ・アームストロングではなくキャプテン・ビーフハートだ、と鋭い指摘をなさっておられました。あれは『資本主義の滝壺』の一節だったでしょうか。