2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧
「どこまで喋ったのだったかな……」千葉潔が壁に背をもたせ、焼酎の入ったコップを口に寄せた。 「先輩は、しかしどうしてそう農民のことや宗教のことを気にかけるんですか。この前話してくれたギオルギイ・ドージャに指導されたハンガリーの農民一揆や、幕末…
佐藤 いまでも政治、経済、文化エリートで新聞を読まない人はいないはずです。軽い世間話であっても、ニュースについて何らかの見解を求められて会話が続かなければ、「その程度のやつだ」とあっさり見限られますから。今後、いくら新聞の購読者数が減っても…
佐藤 歴史の背景や文化を知ろうと思ったら、文学作品から得る情報はとても重要です。ただし、歴史小説はあくまでフィクションなので、その点には注意してほしいですね。経営者が愛読書としてよくあげる司馬遼太郎の『坂の上の雲』には、明石元二郎陸軍大佐と…
佐藤 選挙を意識する政治エリートは、県紙の影響力をよくわかっています。地元の県紙記者が多少厳しいことを書いても、本気でケンカはしません。池上さんは『中国新聞』と『信濃毎日新聞』以外で読んでいる地方紙はありますか? 池上 地方に行ったときは、そ…
ドイツのアンドレ―エとイギリスを結ぶ重要人物は、チェコの学者ヤン・コメニウスである。彼はモラヴィア兄弟団の牧師であったが、チェコから追放され、放浪生活を送った。アンドレ―エを尊敬するとともに、薔薇十字の思想にひかれた。コメニウスはイギリスに…
発光!深夜族→昭和レジデンス→肉体関係 Part 2 改 /クレイジーケンバンド 京都の件。ほんとは暑い京都に二泊というのは自信がなかった。だから、予定が既定になってしまったあとも、何とか変更し、二泊目は懇親会に出ないで新幹線で東京まで戻り、翌朝の北…
「政治」はいつからか、「行為」actionではなく、ある戦略・戦術を「所有」することに置きかえられた。戦略・戦術の意図をもった行動・活動によって、制度を創造・維持・改革・革命・破壊することが、政治活動といわれるようになった。消費がアクティヴな様…
一九〇九年にバザーロフは『神の建設』という著書で、宗教分野に関する新しい考えを展開し、定義さえした。彼によると、それはイデアリストの思想家や作家の言う「神の探求」とも異るものだった。「建神者」にとって神はまだ実際に存在していなかったが、人…
われわれは遠慮もなくとうに亡くなった人々の手紙を読んでいる。そうやってわれわれはよその家族へと入り込み、彼らの事跡と人柄を知ったのである。それがどうしたというのか? 知って、好きになってしまうということのうちには、悪いことはない。そして我々…
アカデミーは十五世紀から十六世紀にかけて、イタリアの学者たちの間で大流行した。やがてそこから大学が発達してゆくのである。N・ペヴスナーの『美術アカデミーの歴史』[…]によれば、学会だけでなく、「半ば秘密的な占星学会」もアカデミーと称したとい…
私はときおり、どこぞの娘がどこぞの若者と出会った、そんなある日のことを思う。その日がいつの季節のことだったかも、それが起こったのがどこの土地でのことなのかも、私は知らない。娘のことも、若者のことも、見た目にどんな人たちなのかもわからない。…
I use the word artist, not meaning to attach any measure of value to what he produces, but merely to signify someone who is occupied with the arts. I wish i could find a better word. Creator is pretentious and seems to make a claim to orig…
日本のように一つの国で一つの言語に統一されている例は世界では決して多くない。国の中でいくつかの言葉が話され従っていくつかの言語が積極的にせよ、消極的にせよ習得される。リルケの場合も家庭で話したドイツ語と街できくチェコ語はそのようにして習得…
さて、四月に揃ってスタートする外国語の学習は秋になり、冬になるにつれ、そのテンポに乱れが出てくる。フランス語やスペイン語では柿の実が色づく頃には初歩の文法が終り、易しい読物が読めるのに、ドイツ語ではまだ文法が続いており、そのドイツ語が読物…
彼は自分の脳や舌にべっとりとこびりついた日本語を非母国語化しなければならないと思った。そこで彼は外国語と恋愛しようとした。外国語大学でロシヤ語を専攻し、第二外国語でフランス語を学び、スペイン語の学習を趣味にし、英語の学習を息抜きにした。し…
He thought of Bellamy, the hero of whose Socialistic Utopia had so oddly anticipated this actual experience. But here was no Utopia, no socialistic state. He had already seen enough to realise that the ancient antithesis of luxury, waste a…
「ロシアと知識人」というテーマは彼を強くとらえたので、彼はそれを論じるためにペテルブルグの「宗教・哲学協会」で、一九〇八年一一月一三日と一二月一二日の二度にわたって発言した。ロシアと知識人の間には「越すことのできぬ一線」があった。民衆の腕…