俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ピチカート・ファイヴ「モナムール東京」

 引用、本歌取り、パクリ、間テクスト性…そんなことばかり考えているうちに半年が過ぎ、一年が過ぎてゆく…

 先日、ピチカート・ファイヴのシングルCD『モナムール東京』が出てきて、懐かしかったですね。97年の発売。当時、随分聴きました。今調べますと、いしだあゆみ「太陽は泣いている」にインスパイアされた曲だ、という指摘がネット上に散見されます(さらに矢野顕子「いろはにこんぺいとう」を想起させる、という指摘も)。引用というものが<聴き手との共通資源への言及>だ、と仮定しますと、これは明らかに筒美京平作品「太陽は泣いている」の引用ですね。短歌なら本歌取りと言われるもの。一歩間違えば<パクリ>のそしりを受けることになりかねませんが、筒美氏にたいする小西康陽さんの敬意の深さを知っている人は誰もそうは言いませんよ。大事なのは、筒美作品を<下敷き>にしながら、昭和40年代歌謡と90年代のクラブミュージック(ドラムンベース等)の間には強い親和性があるという主張をおこなっている点。そこにピチカートの強烈な独創性がにじみます。

 それにしても、原由子ヴァージョンの「太陽は泣いている」と聴き比べているうちに相互参照の循環が起こって、めまいがするような間テクスト性を体験できます。土田知則『間テクスト性の戦略』(夏目書房、2000年)は音楽ファンも読むといいと思います。


YouTube: 太陽は泣いている


YouTube: いしだあゆみ/太陽は泣いている