俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

1987年のポキチ・ペキチ・パキチ

 私はかつて留学と国際機関勤務で米国に5年滞在しましたので、米国好きの部類に入ると思います。それでも、やはり今のネットを巡る米国支配という状況は、好ましくないし健全でもないと思います。

 

ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化 (幻冬舎新書)

ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化 (幻冬舎新書)

 

  もう古い本だが、どこか新古本店で買ったんだっけか。

 米国支配は、一面でどうしても英語の世界的地位の問題と結びつく。アメリカ英語が世界語のスタンダードとなったがためにアメリカへの富と情報と何より優秀な人材の流入が続いているように、北海道のへき地で語学を勉強している身には見えてしまう。

 話は飛ぶけれど、北米のどこかの地方都市で、北海道か東北のような気候のところに職を得て、ずっと帰国しない、という人生をたまに夢見ていた。もうぼくは歳だからその道はないけれど、姪たちの年頃の子には、それが可能なくらいの語学力や行動力を身につけてほしい。それでなおかつ日本の良さがわかって、米国支配の恩恵にあずかってばかりは潔しとしない、と思えたら、国際人としてなかなかのものだろう。

 いや、米国に永住など夢のまた夢。かろうじて実現性があったかもしれないのは、英検のたぐいを早々に極めてしまって、この北海道のどこかの都市で、街の語学屋さんとして比較的自由な暮らしを手に入れること。言ってることが小さいですか。

 現実には、たとえフリーランスであっても、何らかの経営主体との契約に束縛されることは避けられるはずがないので、これが夢想にすぎないのはよくわかる。でも、英検と簿記を教えられる人材がいたら重宝する、という専門校や予備校は、現実にありそうな気がするが。お前の代わりなんかいくらでもいる、という叱責が恒常的に行われる会社への就職より、少しはましだったのではないか。やはり夢想にすぎないのか。

 音楽も、ここ数年は、昔聴かずに済ませた80年代のヒット曲ばかり、今さらのように繰り返し繰り返し聴いている。iPodで鳴っている。

 


pok iti pek iti pak iti