On Green Dolphin Street~『ロシア文法の要点』をようやく読んでいる二月
関心の与格はロシア語だけでなく、他のヨーロッパのことばにもあります。ドイツ語で書かれた小説などを読んでいると、この手の関心の与格が頻繁にでてきます。ただし、ロシア語の関心の与格ではとにかくsebeが一番頻度が高いのですが、ドイツ語の関心の与格はもっぱらmir(mne)です。
ドイツ語の関心の与格に相当するものをロシア語の中で捜せば、ですからむしろ、sebeよりもmneということになります。これはロシア語ではあまり頻度が高くありませんが、題文にあげたmneなどは、ドイツ語のmirとほぼぴったりと重なる用法といってよろしいので、関口存男先生の解説を拝借して説明しておきます。
日本語でもたとえば「そんなところで煙草を吸ってくれるな」というようなことをいいます。「そんなところで煙草を吸うな」といってもいっこうにかまわないところを、わざわざ「くれる」という言葉をつける。「煙草を吸う」という行為が、まるで自分にとって「ありがたい」ことであるかのような感じを添えることで、逆にその行為の「ありがたくなさ」を強調しているわけです。上のロシア語にあらわれるmneは、ちょっとこの「くれる」に似たところがある。[キリル文字をローマ字に変更し引用]
昨夜、今朝の未明、これを読んでいた。読みかけた跡があり、ところどころエンピツで線を引いたり丸をつけたりしている。けれど、まったく覚えていない。ずっと研究室の書棚にありながら読めず、今回読むのが初めてのような気がしていた。題文というのは「まったく詩人てやつは!」というプーシキンからの一文で、mneを含む不思議な文だ。
これが読めなかった、読み通せず、記憶にも残らなかった、というのは、勤めているとき、いかに自分が地に足のついた生活とほど遠い、あわただしいだけで何の中身もない生活を送っていたかの証左だ。内容は高度ではあるが、これが読み通せないのでは、語学力は、中級の下のほうぐらいではなかったか。せっかくだから、ゆっくり、何度も読もうと思う。実に内容が濃い。
与格(ドイツ語で言う3格)に、上記のような働きがあることは、大学院時代にいっぺん習った記憶がある。
上記の部分では「そんなところで煙草を吸ってくれるな」といった日本語を引き合いに出しているが、よく言われるのは「そんなところで煙草を吸われたら困る」という、〈迷惑の受け身(?)〉の働きが与格にはあるといったことだったと思う。英語では目的語を主語にすることによって受動態をつくるので、こうした日本語風の〈迷惑の受け身〉は受動態では訳せない。日本語学や対照言語学では、この辺のことがずいぶん研究されているはずだ。ちなみに、ドイツ語では、目的語のない自動詞の文からでも受動態は作れる、と習った。
ともあれ二月。根を詰め気味に来たこの四カ月。少しゆるくいこう。飽きたり、嫌気がささないよう、長く続けよう。ネットラジオのブラジル音楽、ちょっと飽きたので他の局を探していた一日。まだ寒い日が続くが、これを越したら、またアナログ盤を聴いて冬の終わりを喜びたい。
Bill Evans-On Green Dolphin Street