ワンダー・ブギ~自主的な語学徒はいつもコーヒーと外国語の新聞のことばかり考えている
この当時、ヨーロッパの各都市には、かなりの数のカヒー店が普及していた。コーヒーを飲ませる店、すなわち喫茶店のことだが、新聞や雑誌もおいてあったし、長時間にわたって談話をしていてもよかった。手軽な会合の場所である。また、簡単な食事や、玉突きをすることもできた。のちに日本で流行した、美しい女性を看板にしたカフェーとは、だいぶおもむきがちがう。
カフェという名詞は、今日ではまた日本語の中に帰ってきたが、一時は死語だった気がする。とくに「カフェー」と長母音を用いて表記すれば、いまでも今ふうのカフェではなく、大正時代の、女給のいる喫茶店の意味ではないか。
上記の記述は、明治10年代に小金井が留学したベルリンのことで、ヨーロッパのカフェ文化の開花については、他でも読むことができるはずだ。新聞が置いてあった、ということはしばしば強調される。これがうらやましい。もちろん、ラジオすらない時代、新聞は情報インフラの最前線だっただろう。今とは比べ物にならない。
でもなんていうんだろう、新聞というものの持つ、独特の文化的エロスは、今でもある気がして、今はそういうサービスはあるのか知らないが、アエロフロート機に乗ったときなど、すぐさまモスクワの新聞を何種類もひっつかんで、読んでいたころがあった。もう情報環境が激変してしまった今でも、海外で店頭に並ぶ紙の新聞へは、なんというか強い強い憧れがある。うちにいるのにいろいろあって読む余裕がなく、もう来年はロシアの新聞を取らないことにした自分の身が、少し寂しくもあるのである。
で、ラジオも好きで、しかし、ロシア語のラジオはどれも早口で、ずっと聴いてなかったのだ。それが、今月くらいから、また聴くようになった。英語が聴きたくて買ったようなネットラジオの専用機に、ロシアのトーク・ニュース局もいくつか登録しておいて、切り換えては聴いている。さっきはGOVORIT MOSKVA「こちらモスクワ」で、クリスチャン・サイエンス・モニターのアメリカ人が米大統領選の結果の分析をするのを聴いていた。よく知っている内容の英語がロシア語に訳されていく過程が面白かった。別の局に切り換えると、ロシアアヴァンギャルドの話をしてるが、これはロシア人じゃないな、と思ったら、イタリア人学者らしき人がロシア語でしゃべっているのだ。すこし発音がロシア人と違うが、言い回しの達者なのに驚く。
かつてロシア語教師になりたてのころは、今思えばインターネットすらない時代で、地方へ赴任してしまうとナマの語学の勉強に困った。夏に出かける語学研修の八月末の修了式で、ロシア側の熱心な責任者が、日本に帰ってもロシアの新聞を購読してほしい、と訴えていたのを思い出す。そのときは、『モスコーフスキー・コムソモーレツ』を勧められて、日刊紙だから随分高かったが、とっていたことがあった。
あれから、ロシア語の新聞をとったりやめたりを繰り返しているが、継続的に読めていたのはほんのいっときだけだ。そのわずかな期間、単語帳をつくりながら必死に読んだのが、かろうじて時事ロシア語の基礎になっている。あれを三年、五年と続けられなかったのが、本当に惜しい。折角ロシア語を専攻しながら、ロシア語どっぷりの期間が短すぎるのだ。いつも気づくと、最低限のロシア語力を維持しようという切実な関心すら失っている、ということの繰り返し。
英字新聞は、うまくいったのだ。それが、なぜかロシア語のほうでは軌道に乗らない。Surfaceで毎晩、通信社のサイトを読むのなら、何とかできる。これでいいような気もするが、紙の新聞とは、なんか違うのだな。
コーヒーは、このところ、飲み過ぎだなあ。胸焼けがするまで飲んでるものなあ。