Come Back My Love
ちょっと愚痴を言わせてもらいますけど、僕も大学の管理職という立場上さまざまなクレイマーに対応しなければいけません。ひどいのが多いんですよ。 […]
フランス語の授業を担当していたときには、「フランス語を一科目落したくらいで卒業させないとはどういうわけだ」と怒鳴り込んできた親がいました。「フランス語くらいのことで、ひとりの人間の一生を台無しにする気か」と言われました。ほんとうにそう思って言っているのだとしたらあきらかに正気を失っているわけですから、たぶんダメモトで一応言ってみるということをされているのだろうと思います。
こういう経験をしたことのない語学教師というのは、たぶん一人もいないのではないか。
そう思うくらいよくある話で、その構造もわからなくはないし、著者の思想をここで突っ込んで紹介する必要もないだろうから、あくまで例として拾っておく。
大学進学率が上昇すると社会全体が知的に向上する…のではなく、ぎゃくに大学教育のほうにいちじるしい変質が生ずる、というのは90年代ごろにはすでに大学内外で喧伝されていた記憶がある。だから、このこと自体にはとりたてて感想はない。自分も何度も手こずった(というか手こずるのが面倒で、あっさり単位を出していたはずだ。単位の自動販売機…)。
大半の若い人にとって、第二外国語の教師なんぞというのは、大学という制度の中でも最も抑圧的な部分の体現者でしかないのだ、と実感されるときの、気の滅入るような虚しさ。それは、研究室におさらばした今に至るも、はっきりおぼえている。
Darts - Come back my love 1978