俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

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 私は以前、とある組織に勤める女性従業員から次のような相談を受けたことがある。彼女は英検一級に合格しているが、ただそれだけの理由で、その組織のトップが海外出張する際に同行して、通訳の仕事にこき使われるのだという。

 しかし、通訳の技術というのは一種独特なものであって、英検一級を持っているから通訳ができるという単純なものではない。そもそも彼女は、別に社内通訳をやるという条件で採用されたわけでもない。つまりこのケースにおいては、英語屋さんの能力やその評価について、上司の認識が明らかに不足している。

 

英語屋さんの虎ノ巻 (集英社新書)

英語屋さんの虎ノ巻 (集英社新書)

 

  ここ、拾っとく。本はこれから読むが、真っ先に目に飛び込んできた部分。

 大学の語学教師というのももちろん語学の専門家ではあるが、通訳やビジネス翻訳を専門としているケースはむしろ少ないだろう。

 どこの大学でも、語学の先生が国際交流の窓口の担当になったり、海外から研究者が来たりすると通訳やアテンドに駆り出されたりはある。ぼくも、自分にできることならと考えて、いろいろやった。

 かといってぼくは、通訳やツアーコンダクターになったつもりもない。これはそれらの職種を見くだして言うのではなく、まったく逆に、通訳やアテンドを専門にしているという人は、その道の経験豊かで、高度な技術を駆使できるような人ばかりなのだ。それを理解しない職場で、社内/学内に「業者」がいるような位置づけにされて苦しんでいる人はけっこう多いと思う。

 英語屋さんをうまく使いこなしたかったら、その人の能力を正しく評価した上で使うことだ。だいたい、英語屋さんだからといって、誰でも英語の仕事が無限にできるわけでもない。英語の専門職として採用されたわけでもないのに通訳や翻訳者として使う場合、本人の希望や能力を確かめてからにしたほうがいい。

 日本の会社には職務内容記述書(job description)がないせいか、従業員には何をやらせてもいいように思い込んでいる管理職がいるかもしれない。しかし、社内にいる英語屋さんを「便利屋」扱いして、英語ができるという理由だけで、本来の業務以外のことまで押しつけるのはいかがなものだろうか。

 

 在職中、「よく英検一級などというが、英語は実際に役立ってなんぼでしょ」といった議論はずいぶん聞かされた覚えがある。その「実際に役立つ」がくせ者で、教授さんらにとっては往々にして、自分たちの研究の補助員として通訳や翻訳をやってくれるかどうかが基準だったりはするのだな。ぼくは自分で原語で読みたいものがあるから○○語をやりました、大いに役立っています、というのは、どうしても理解されないのだよ。

 いや、来賓が来るので通訳をしてくれ、というくらいなら常識の範囲だし、よろこんでやろう。そうではなく、その依頼と承諾の関係が、有無を言わさぬ主従の関係に擬されるのがおかしくないですか、と言いたいのだが、なにか身の程知らぬことを言ってるだろうか。ぼくらは「便利屋」ではないし、ましてや「奴隷」でもないのだけれどな。

 オーストラリアのトークレディオを聴いてるが、いや~楽しい。訛りっぷりがさ。昨日はアメリカのCBSフィラデルフィア弁というのをやってたな。


Cecilio & Kapono - About You