俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

N.S.P「おとぎの国のお話」

音楽の趣味ってのは難しいもんでして。僕は、音楽に関しては好き嫌いがすべて、という人間です。嫌いなものは無理して好きになろうとしないこと。他人がいいと言うものでも、自分は好きになれない、そんな音楽だってあります。そういうのは視野の外においてほうっておけばいい。いいものは、努力して勉強しなくても、やがてわかるようになります。

でですね、『東京ガールズブラボー』のサカエちゃんのように、「近田さんに一生ついていこうと思った」と10代の後半で心に決めた若者(=僕)にとっては、歌謡曲こそが身を投ずるに値する洗練された芸術でした。平山みき郷ひろみこそが真のシンガーであって、筒美京平こそが20世紀後半の日本を代表するコンポーザーであって…と、この趣味をどんどん純化させてゆくと、生半可な自作自演フォーク(=ニューミュージック)はみんな敵になってしまうんですね。僕が中島みゆきさんに詳しくないいのはそのせいですし、そうやって聴かずに済ませてしまったいい音楽って他にもあるんだろうなと思います。

で、世の中、そうやって歌謡曲とかフリージャズとかヘンなバンドのことを考えている人ばかりじゃないんですね。思わぬところで「ファンカデリックが好きだ」なんていう人に出会うこともありましたが、趣味の合う友達がいつもいるとは限りません。むしろ、自室に閉じこもって山口百恵を聴きながら平岡正明を耽読している…などということは、人に知られるといぶかしく思われるのがオチで、音楽の話は人前でしないほうがいいな、というのが僕の学んだことでした。

で、仲間と酒を飲むときなんか、もっぱら人がどういう音楽を好きか、聞く側にまわりましたが、これ、案外面白かったです。僕らのイデオロギー的指導者である近田さんが「嫌いだ」と公言している「フォーク/ニューミュージック」の中にも、聴き応えのある、面白い音楽はけっこうありました。たとえばどてらを着てコタツに入って聴いたN.S.P「おとぎの国のお話」。

NSPは岩手県の高等工業専門学校出身のフォーク・グループ。「夕暮れ時はさびしそう」に代表される綿々嫋々、女々しい「フォーク」の代表格のようなグループでした。その彼らの「おとぎの国のお話」が、結構聴かせるんですね。日が暮れて、街に明かりがつき、星が出てくる頃、少女の夢想が憧れの世界へと無限に広がってゆく、そんな歌です。こんなみにくい私でも、きれいなお姫様になれるかしら。「少女は夢を抱いておとぎの国へと旅に出る」。天野滋さんのあの声で、ニューウェーヴの対極のような、乙女チック、メルヘンチックな世界が展開されます。これ、となりの部屋に住んでた歴史学の大学院生に聴かせてもらったんですが、その素朴で叙情的、それでいてノリのよい曲調、いっぺんで好きになりました。このサックスはテナーかバリトンか、いいアクセントをつけてます。

この曲もiTunesStoreでふと思い立って検索、購入しました。こんな風に、記憶に残る曲を即座に買えるところがいいですね。失われた時を求めて、とプルースト的なことをいうつもりはないですが、不意に、コタツに入ってこの曲を聴いたあのときを思い出します。

天野滋さんは2005年に逝去。ご冥福をお祈りします。