Mikky D~むしろ床屋政談力を不断に鍛えるべきではということについて
佐高 […]昭和二年の金融恐慌のとき、最初に東京渡辺銀行が破綻した。破綻によって取り付け騒ぎが起きるのに備えて、大蔵省が緊急措置として二〇〇円札を発行した。しかし緊急性を優先したがために、表面だけ印刷をほどこし、裏面は真っ白だった。これがいわゆる裏白紙幣ですね。なんと、この紙幣を使った人が逮捕される。大蔵省から警察への連絡が行き渡っておらず、警察は裏白紙幣の存在を把握していなかったからです。裏が真っ白なのですから、いかにも偽札らしいですしね。
この話をすると、ピンと来る生徒が何人もいましてね。「本物と偽物はまったく違うものだと思っていたけど、すごく近いものだとわかった」と言ってくれた。
大メディアの報道では絶対にわからない どアホノミクスの正体 (講談社+α新書)
- 作者: 佐高信,浜矩子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/12/21
- メディア: 新書
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これはまだ返却期限は先だけれど、もう一回読み直してから返そう。
前にも書いた気がするけれど、いわゆる「床屋政談」も、経済学や歴史の裏づけをちょっと与えてやれば、知的営為としてはそうそう低級なばかりで終わらないのではないだろうか。ぼくらの全員が全員法学部政治学科で政治を学べるわけではなく、職業的に立法や行政にたずさわるわけでもない。みな生業は別に持ちながら、国民の権利・義務として政治に参加するのだということをまっすぐに見つめるならば、むしろ積極的に床屋政談にコミットし、それをその場かぎりの自己満悦的な勧善懲悪言説の遊戯に終わらせまいとする不断の努力こそ必要なのではないか。
って、いつもそんな大真面目なことばかり考えているわけでもないのだけれど、時局についてまっとうな議論ができるような見識を持つ、というか、自分なりの判断基準を定める、というか、それは人生経験と知的訓練の相互作用で決まってくることで、読書などの知的訓練だけでは机上の空論に陥りがちなのは確かだが、自分ひとりの身に起こる実体験だけでも立派な見識は得られないだろう。そう意味で言うと、「文学」を無用の用として片付けがちなビジネスマンらへの違和を表明した以下の一節なんぞも、ちょっと引いとこう。
浜 […]佐高さんのご指摘との関連で思うのは、今の日本の経営者たちのなかに小説や哲学書も読んでいる人々がいるとしても、彼らはその世界を経営の世界とまったく切り離しているということです。人間と経済の乖離が、一人の経営者の内面でも発生している。経営を語るに、小説の言葉で語ってはいけないと彼らは思っている。企業が存続し、ずっと成長し続け、儲けることがレゾンデートルなのであって、そこに余計な倫理性や哲学性、物語性など取り込んではいけない。そんなことをしては時代遅れだし、プロフェッショナリズムに欠けるし、知性を疑われると恐れている。
小説を読まない、つまらない経営者として何人かの名が挙がっているが、事実かどうかわからないから、それはここでは引かずにおく。優れた社会科学者が小説を読むことを奨める例は何人か知っているけれど、この本のことも参考としてここに引いておいた。
むろん啓発的とはいえ、これはそのときどき読み捨てられる時局的な新書本。歴史なり文学なりの本格的勉強は、また別途。