敵は幾万
小説は仮作物語[つくりものがたり]の一種にして、所謂奇異譚の変体なり。奇異譚とは何ぞや。英国にてローマンスと名づくるものなり。ローマンスは趣向を荒唐無稽の事物に取りて、奇怪百出もて篇をなし、尋常世界に見[あら]はれたる事物の道理に矛盾するを敢えて顧みざるものにぞある。小説すなはちノベルに至りては之れと異なり。世の人情と風俗をば写すを以って主脳となし、平常世界にあるべきやうなる事柄をもて材料として而して趣向を設くるものなり。[…]
ここね。拾っておく。
で、小説にも歴史的起源や出自があり、それは必ずしもとっくに自明なものではない。ぼくは英文科のことには暗いが、それでも小説の起源に関する英文学の研究書を買うことはあるし、その日本への移植において坪内や二葉亭、漱石、山田美妙、尾崎紅葉らが果たした役割については、遅まきながらきちんと知っておきたいという気がある。と言ってそれにかかりきる時間も、大量の関連書を購う資金もないが、せめて文庫のこれくらいは、読んでおいてばちは当たらないだろうなどと考えているところだ。
これはさ、内田春菊さんの漫画に、坪内が出てきて山田美妙にダメ出しをするシーンがあって、それで気になってたというのもある。ローマンスからノベルへの当然の進歩を坪内は説く。しかしそれはあなたには書けない。私にも書けない。書けるとすれば外国語学校でロシアのノベルを翻訳している長谷川くん(二葉亭)ぐらいなものだ、と。
星くず語学徒、学会報告にのこのこ出ていく手続きをして、やってるが、終わったらほっとするだろうな。