俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

三島由紀夫VS東大全共闘

 凡庸な攘夷論者であった坂本龍馬は、開国論者である幕臣勝海舟を斬り殺すために、勝の家を訪れたことがありました。そのとき、勝は竜馬を座敷に上げて、「お前さんたちのようなのが毎日来るよ。まあ、話を聴くがいいぜ」と、世界情勢について長広舌をふるいました。龍馬は話を聴いているうちにたちまち開国論に転じ、その場で勝に弟子入りしてしまいました。龍馬を「説得」したのは、勝の議論のコンテンツの正しさではありません(龍馬には勝が語っていることの真偽を判定できるだけの知識がありませんでした)。そうではなく、自分を殺しに来た青年の懐にまっすぐ飛び込み、その知性を信じた勝の「誠」です。

 

街場の共同体論

街場の共同体論

 

  この本はもう返却したが、拾っておいた。

 次の個所とはどう相関するか。

 ぼくたちは同情めいたことを言う教官よりも、思想的には異なっていても逃げずに対話しようとする、この林健太郎のような教官のほうを尊敬していた。戦後民主主義を代表する政治学者丸山眞男の研究室を全共闘が封鎖した時、丸山眞男がこんな暴挙はナチスもやらなかったと言ったのは有名な話だ。ぼくたちは、その話を戦後民主主義の知識人は、いざ問題が自分におよんでくるとうろたえるという話として受け取った。たぶんぼくらは三島由紀夫のなかに戦後民主主義的知識人や大学当局がもたない誠実さを見ていたのだ。

 

思想としての全共闘世代 (ちくま新書)

思想としての全共闘世代 (ちくま新書)

 

  今は亡き小阪修平氏が言うのは、有名な林健太郎カンヅメ事件。東大闘争のとき文学部長だった林が、全共闘学生とのカンヅメ団交で、あくまで頑強に主張を曲げなかったことに、学生たちが逆に敬服してしまい…という有名な話。同様にというか、三島も1969年5月13日、東大駒場の900番教室に単身乗り込んでいった(「盾の会」が最前列に陣取っていたとの話もあることを小阪は注記してはいるが)。

 ぼくは、ここから何を学ぶべきだろうか。↓大物となる若者らがたくさん映っている映像。


三島由紀夫vs東大全共闘