そんなヒロシに騙されて
All that philosophers have handled for thousands of years have been concept-mummies; nothing real escaped their grasp alive. When those honorable idolators of concepts worship something, they kill it and stuff it; they threaten the life of everything they worship.
The Portable Nietzsche (Portable Library)
- 作者: Friedrich Nietzsche
- 出版社/メーカー: Penguin Books
- 発売日: 1977/01/27
- メディア: Kindle版
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『ポータブル・ニーチェ』、どこかの古本屋で買ったもの。ふと書棚から抜いて、『偶像の黄昏』というのを読んでみました。
なんだかおっかないことがたくさん書かれていますが、上の一節は、「おっ」と思い、ここにメモ代わりに。あえて拙訳を示しますと、
哲学者どもが何千年にもわたってもてあそんできたのはすべて概念のミイラである。リアルなもので彼らの手を生きてのがれたものは何一つないのだ。あの尊敬すべき概念の崇拝家たちは、何かを崇めるとき、それを殺して、詰め物をしてしまう。彼らは、崇め奉るものすべての生命を危険にさらすのだ。
哲学者たちのやっていることは現実の生ではなく、死物と化した概念をもてあそぶことでしかない。そんな意味でしょう。
先日、NHK-FMの『ウィークエンド・サンシャイン』は特番「サンシャイン・ミュージック・フェスティヴァル」でした。3時間40分の拡大版で、ピーター・バラカン氏と花房浩一さん、石田昌隆さんが、番組を野外音楽フェスに見立てて、ライヴ録音の音楽をかけまくるというもの。
花房さんはイギリスの野外音楽フェスにも通い詰め、フジ・ロック・フェスの裏方でもある人。野外フェスは音楽だけじゃない、独特のパワーがみなぎる特別な空間であることを強調されていました。そういう野外フェスでは、ちまちま計画を立てて、何時に誰のステージを見よう、というのではもったいない。その場でしかありえない意外なアーティストとの出会いこそがフェスの醍醐味、と語っておられたと思います。
音楽はライヴが命で、CDになったものは、文字通り「レコード」=「記録」に過ぎないもの、というのは 今も昔もよく聞きます。これが、ニーチェの一節となんとなくかぶって見えるんですね。
以前知り合いだった先生はロシアジャズ研究の第一人者でしたが、学生時代、ロシアのバンドの日本公演をサポートしてライヴの醍醐味に目覚め、徹底した現場主義者になったとか。講義や学会発表は一回限りのライヴ・パフォーマンスだ、という考え方をする学者さんたちもいる。文化政策を教える某大学では、オーケストラでも声楽でも、一通りナマを体験させるそうで、それで目覚めてそういう音楽のファンになる若い人も多いそう。ポーランドに渡ったタデウシュ・カントール研究の若い人も、以前間接的に聞いた話では、演劇が専門ではあるけれど、ヴィデオにとられた舞台は観るに耐えないんだとか。
冬にここに書いたことですが、ロシアの革命詩人マヤコフスキーも、一回一回の朗読=パフォーマンスこそがすごかったので、今、本で読めるのはそのパフォーマンスの抜け殻=歌詞カードに過ぎない、といった見方もあるんですね。
ニーチェのことはよく知らないし、「生の哲学」ってのも、どこか物騒でおっかない。でも、うんと芸術の問題にひきつけると、ああこういうことか、と納得できる面も、確かにあるなと。