俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

中島みゆき「蕎麦屋」

ああ、こりゃあいい曲だ…

70年代終わり~80年代をニュー・ウェーヴの大波に洗われた僕の教養には、大きな欠落がたくさんあります。そのひとつが中島みゆきさん。『親愛なる者へ』『生きていてもいいですか』『臨月』などのアルバム収録の<いい曲>の数々、僕、あんまり知らないんですよね。で、コメントで指摘をいただいてから慌てて検索したりして。そんなとき『生きていてもいいですか』収録のこの曲のことを知り、タイトル見ただけで聴きたくなりました。中島みゆき蕎麦屋」。

世界中の誰も彼もが偉いやつに思えてきて、自分がまるで無価値な人間みたいに思える、そんな時をねらい澄ましたように、<お前>から「蕎麦を食べに行きません?」と電話がかかってくる、そんな歌。強がって知らん振りを決め込みたいところなんだけど、なぜだかうるうるきちゃったりして。

なんでも、みゆきさんのアルバムの写真を手がけておられたフォトグラファーさんの身に起こった実話だとか。はあ、やはり挫折しそうな芸術家さんの心境を歌ったものですか。芸術なり、スポーツなり、自分の才能に自負を持った男の子なら、こんな思いは誰だって経験したことがあるはず。

ずいぶん前ですが、僕が「友がみな我より偉く見ゆる日よ 花を買い来て妻と親しむ」と啄木の歌を口ずさんだら、「まあ、ひがみっぽいのねえ」と慰めてくれた女性がおりましたとさ。どーせおいらは自己憐憫のかたまりですよ。でも、みゆきさんみたいな女性が一緒に蕎麦を食べるのにつきあってくれて、「世の中には君の真価がわからない馬鹿なやつもいるのよ」なんてなにげなく慰めてくれたら、もう一生その人についていきますね、僕。そんな思いにそっと寄り添う、やさしい歌。今度の週末は、蕎麦屋で昼間からビールでも飲みたいな。

注: 書き終えて寄せられたコメントを読んで調べなおしたのですが、この曲は写真家さんがみゆきさんに慰められているのではなく、みゆきさんが写真家さんに慰められている、という設定のようです。まったくの僕の勘違いでした。ここに注記し訂正します。恥ずかしいので記事は本来削除したいところですが、僕にはこういう風に聴けてしまったという典型的な「誤読」の例として、そのままにしておきます。みゆきさんのファンの皆さん、ごめんなさい。