俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

太田裕美「赤いハイヒール」

太田裕美さん。童顔、天真爛漫、舌足らず…いつまでもあどけないあなたでいてください…

と、いまだからそんな風に半分おふざけで言うことができますが、太田裕美さんの音楽にはたくさんの複雑な思い出が絡んでいて、本当は、そんなに簡単には語ることができないのですよね。

僕がギターで初めて弾いた曲って、このあたりなのですよ。子供の頃からわがままを言わずに勉強だけしていた僕が、突然、親にむかって「ギターを買ってくれ」と言ったのがこの頃。14歳とか15歳です。11~12歳ごろに始まった自我の爆発的目覚めを、それまで何とかごまかしながらやり過ごしていた僕の、ささやかだけれど決定的な「非行」が始まったのがそのころなんだと思います。

「非行」と言っても、盗んだバイクで走り出すとか、学校のガラス窓を叩き割るとか、そんな勇壮なもんではなくて、ほんと、突如勉強を放擲してギターを弾きはじめる、ってそれだけのことでしたけどね。親は狼狽するんですよね。小学生の頃から小説家の真似をして雑誌を作ったりするのは、そんなに咎められなかったんですが、ギターを弾きはじめたり、『週刊プレイボーイ』や『平凡パンチ』を買ってきたりするようになったのは、ずいぶん親を悩ませたようです。

なんかそんなころ、「赤いハイヒール」をギターで弾いていたら、突然父が腹を立てて、卓袱台をひっくり返したことがあるんですよね。その後もずっとそうですが、父は、僕が音楽とか、文学とか、芸術とか、実利に関係ないものにのめりこんでゆくのがどうしても理解できないようでした。僕は僕で、仕事さえしていれば男は一人前、あとは酒を飲もうが家族をほったらかそうが何しようが勝手、という父の考え方がいやでいやでたまらなかったのを憶えています。

いや、なんか関係ない話になってしまって、太田裕美さんの名前で検索してお越しの方、どうもすみません。「木綿のハンカチーフ」では、男の子のほうが上京して、こころが離れ離れになってゆく恋人どうしを描いた松本隆筒美京平コンビ。この曲では、夢を抱いて上京してきた女の子の悲しい行く末を描き出します。東京駅に着いたときに、夢に胸ふくらませて買った赤いハイヒール。やがてかかとが取れ、それでもこの赤いハイヒールを脱ぐことができない女の子。次の一節のシュールな残酷さには息を呑みます。「おとぎ話の人魚姫はね 死ぬまで踊るああ赤い靴 一度はいたらもうとまらない 誰か助けて 赤いハイヒール」。

男の子の立場から、そんなハイヒールなんか脱いで故郷に帰ろうよ、と呼びかけるところで曲は終わりますが、それでもこの曲の一種異様な暗い残酷さ、やっぱり飛びぬけてます。父が腹を立てたのは「そんな暗い歌を家の中で歌うな」ということだったのかな。わかりませんが。『太田裕美 ゴールデン☆ベスト コンプリート・シングル・コレクション』、聴き返すごとに発見があります。続きは明日。