俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ローランド・カーク『ヴォランティアード・スレイヴリー』

アマゾンで本やCDを買うようになって、もう7,8年経つんでしょうか。

近所に人文学のハードな専門書を置いている本屋さんや、フリージャズやマイナーな歌謡曲を置いているCD屋さんがない…。もっぱらアマゾンを使うようになる理由って、僕の場合はそうでした。どなたでも、大体そんなところですよね。東京のような大都市圏を除けば、全国どこへ住んでも、そうした不満から解放されることって決してないのかもしれません。あるいは神田神保町に事務所を構えていても、これはと思う本はその日のうちに手に入らず、結局アマゾンで注文したほうが早い、なんて話をどこかで読んだこともありました。

で、アマゾンの面白いところは、アルゴリズムによって思いがけないものがおすすめ商品として出てくること。

あるとき、ポーランド文学の翻訳本を何冊か注文したことがありました。ゴンブローヴィッチとかシュルツとかです。すると、『トーキングヘッズ叢書No.27  特集 奴隷の詩学』(2006年7月、発行:アトリエザード、発売:青苑新社)なるムックらしきものがお勧めででてきました。なぜこんなものが?興味をそそられて注文しました。ははあ、「ブルーノ・シュルツ マゾヒズム図像学」という論文が載っています。このせいですか。これがキーワードで引っかかって出てきたわけですな。

その論文も興味深かったですが、僕がへえ、と思ったのは以下のもの。

大屋雄裕「ご主人さま選びと奴隷の幸福 マンダレイグーグルゾン、ジーヴス」

実際にあったらしいですね、奴隷制が法律上廃止されたあとも、奴隷たち自身が解放を拒み、もと主人たちに、旧来の通り自分たちの主人でいて欲しいと要求したという例が。知りませんでした。この論文に挙げられているのは『O嬢の物語』序文で言及されている「1838年に中央アメリカバルバドス島で起きた奇妙な暴動の話」ですが、これに想を得て製作されたのがラース・フォン・トリアー監督の映画『マンダレイ』です。

以下、ネタバレを含みますので、映画未見の人は読まないほうがいいのですが、奴隷たちを支配し続けている「ママの法律」が、実は奴隷自身によって起草されたものである、という逆説。いくら主人公がクラスを開講して民主主義を教えようとしても、すべての努力は「民主主義を教えることのできるあなたがご主人様になればよい」という負のメッセージに裏返って送り返されてきます。奴隷制廃止後も生き残る奴隷制という反ユートピアが、実は奴隷たち自身の望むユートピアである、という背理。これ、深く考え込みますね。

でもって、僕自身の理解が浅いせいもあるんですが、だったらなぜ大屋さんの論文にはドストエフスキーが挙がっていないのかな?って思いません?今売れまくってる『カラマーゾフの兄弟』のなかの「大審問官伝説」は、関係ないんでしょうか?

眼の前にあるのはローランド・カーク『ヴォランティアード・スレイヴリー』。ははあ、「自発的奴隷状態」ですか。これもひょっとして、上記のような政治哲学的テーマと関係あるんでしょうかね。1969年7月の録音といいますから、公民権運動の盛り上がりと無縁なはずがありません。内容は、スティーヴィー・ワンダー「マイ・シェリー・アモール」やアレサ・フランクリン「小さな願い」のカヴァーを含むR&Bとニュー・ジャズのごった煮。なかなか濃い味わいがあります。マーティン・ルーサー・キングI Have a Dream』なんて本が読みたくなりますね。奴隷制、R&B、ジャズ、政治哲学、そしてロシア文学…。取り留めない連想は尽きることがありません。