俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

本の馬鹿買い(音楽ブログ休止中です)

今年に入って大塚信一『山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年』(トランスビュー、2007年)を読んでいるときだったと思うんですが、「本の馬鹿買い」という表現に出会いました。赴任先のナイジェリアで英書の売り立てがあり、がまんできずに何十冊も買ってしまう、というような場面だったと思います(要確認、違っているかも)。山口昌男さんというかたの個性と知性を端的に示す、なかなか的確な表現だな、と思いました。

本は借りて済ますのではなく買う。それも、研究費などの資金で買うと勤務先の備品になってしまうから、身銭を切って買う。これ、正確にいつどこで教わったのかというと、たぶんむかし渡部昇一さんのエッセイを読んでいて知ったのだと思います。ただ、僕が系統的な専門書の収集ではなく、かなりでたらめな本の買い方をするようになったのは、山口さんの本を読んでいて、身の程知らずにも憧れをいだいたのがやはり直接的な原因です。僕の買う本の量など、山口氏に比べればまったくささやかなものに過ぎませんが、それでも保管場所に困るようになりました。

もうひとつ、これは山口氏の影響プラスたぶん老化現象だと思うんですが、古本屋や図書室の夢というのをみるようになりました。夢の中で、東北地方の某駅前で特急列車をおりて古本屋に入ったら、ブロツキーの英訳本がずらーっとならんでいてあわててお金を下ろしにいく…そして目が覚める、とか、どこかの大学の研究室で本棚を覗いたら、英国マルクス主義の本がダーッと並んでいる、あっと思ったら夢だったとか…まんま山口かぶれですね。

ただ、僕らの世代が上の世代と違うのは、インターネットで本を買うようになったことでしょうね。これのどこが上の世代と違うかというと、「つけ買い」ができないこと。洋書を買うと、毎月買った分だけ決済されるので、「そのうち払う」という形での大量の本の購入は不可能です。その意味で、山口さん的「本の馬鹿買い」というのは、僕らの世代にはもう不可能な、文字通りの夢のような行為なのだと思います。