俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ブルー・シャトウ

またまた昔話でたいへん恐縮なのですが、近田春夫さんの深夜放送から、僕はたくさんのことを学びました。ずっと後になって二度目の大学生活を送るようになり、シミュレーションとしミュラークルだとか、文化の政治学だとか、学ぶことになるのですが、パクリがオリジナルを超えてしまうことがある、とか、文化にはいわゆる「右」や「左」といった「党派性」とはぜんぜん次元の違う「政治性」があるとか、すでに近田春夫さんの評論から学んだことばかりでした。

そんな中で、近田さんの放送から学んだことの一つに、グループ・サウンズの裏話があります。カルトGS再評価にはいくつかの回路があるのですが(たとえば甲斐よしひろさんも「サウンド・ストリート」でさかんにかけていましたね)、僕にとっては近田さんのTBS「パック・イン・ミュージック」が最大の情報源でした。80年代の初頭のことですが、毎週、文字通り、ラジオにかじりついていました。そんな放送の中で知った豆知識の一つ。作曲家・井上忠夫が「大ちゃん」という愛称で呼ばれ、のちに「井上大輔」のペンネームさえ用いたそもそもの原因はなにか?

ジャッキー吉川&ブルー・コメッツが日劇ウエスタン・カーニバルに出演していたときのこと。演奏の途中でメンバー紹介になりました。司会は内田裕也。実はユーヤさん、いわゆる「したの名前」を憶えるのがとても苦手なのだそうです。「テナーサックス!井上…」まではよかったものの、名前の「忠夫」が出てこない。そこで、苦し紛れに「井上…ダイスケ!」と叫んだというのです。それ以来、井上忠夫さんは業界の方々からは「大ちゃん」と呼ばれるようになった、のちに本人も「大輔」を名乗るようになった…概略、こんな話だったと思います。

本当かどうかは、もちろん、僕知りません。でも、これ、すごくいい話だと思うんです。そのころのGS業界の人たちって、仲よさそうでうらやましいです。なんか内田裕也御大に「ダイスケ」と呼ばれたら、「大輔」でいいかなって気がしませんか?

というわけで今日はiTunesのなかで「ブルー・シャトウ」が鳴っています。