俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

北里義之『サウンド・アナトミア』

今年に入って、書店の店頭で見つけました。「あっ」と思って即購入。

北里義之『サウンド・アナトミア 高柳昌行の探求と音響の起源』(青土社、2007年)

お会いしたことはありませんが、北里さんは以前、「音場舎通信」という評論誌を送ってくださっていました。最近送られてこないな、と思ったら、某SNSに場を移して、これを執筆なさっていたようです。まだ読みさしのままで、これから本格的に読もうかという状態です。しかしもうすぐ忙しくなるし、こんな重厚な本を読む時間はあるのだろうか…と逡巡しながら今手にとっています。

僕は、ギタリスト高柳昌行のライヴを一度だけ観たことがあります。もう20年以上も前の話です。場所は北海道某市のジャズ喫茶。ジャズ評論家・副島輝人さんのメールス・ジャズ祭の8ミリフィルム上映と一緒でした。今、副島さんの『日本フリージャズ史』(青土社、2002年)で確認すると1984年の初秋とありますね。

印象に残っているのは、高柳の音楽と、聴きに来た人たちの期待とのあまりの落差です。お客さんの大半は「有名なジャズのギター奏者が来るらしい」と聞いてやってきた、ふつうの音楽好きの人たちです。そこへテープ音を利用した高柳の即興演奏ですから、来た人たちの当惑といったら…演奏後の討論会は気まずい沈黙が支配しました。もうずいぶん昔の話で、細部は憶えていませんが、僕の隣に座っていた、いかにもフリージャズに縁のなさそうなお兄さんが高柳に何か質問し、高柳が「…ということなんだけどわかりますか?」と答えると、憤然として「わかりませーん」と答えていたのをはっきり記憶しています。

北里さんの本はこれから読みます。しかしこれは、時間をかけてきちんと読まなくてはだめだな。読んでまたここに何か書ければいいな、と思います。