俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

西田佐知子におけるブルーズの概念

昔々の話ですが、深夜放送で近田春夫さんが五木ひろし『よこはまたそがれ』をかけながら、「この、『ブルース、口笛、女の涙』のブルースって、スリム・ハーポとかを指すんでしょうかねえ」と発言したことをやけにはっきりと憶えています。今では信じがたいことかもしれませんが、昔は日本ではブラック・ミュージックの認知度がとても低かったのです。ジャズ・シンガーとは別にブルーズ・シンガーという人たちが存在することをわざわざ説明しなければならない、と、中村とうようさんもどこかに書いておられたと記憶しています。作詞の山口洋子がスリム・ハーポやチャーリー・パットンを念頭においていたとは考えられません。上に挙げた近田氏の発言はそうした当時の状況を、近田氏一流の修辞で言い表したものだったといえます。

ただ、一方では中村とうよう氏には『ブラック・ミュージックとしてのジャズ』という著書もあります。僕が最初に好きになったのはジャズ以外の黒人音楽なんですが、ジャズもブラック・ミュージックだ、という機運の中ですんなりジャズのリスナーにもなれたことは、僕にとって幸運なことでした。そうすると、ビリー・ホリディに宿っているブルーズのフィーリングなんかもわかってしまうんですね。そこから振り返って、たとえば西田佐知子「くれないホテル」「東京ブルース」「博多ブルース」「メリケン・ブルース」などを聴くと、このブルーズ理解も、案外間違ってないんじゃないか、なんて思えてくるのです。今聴いているのは、お正月に、歌謡曲が聴きたいな、と思って買ってきた10曲入り千円の安直なベストですが、曲数が多くない分、西田佐知子の本質みたいなものがむき出しになってます。ロバート・ジョンソンマディ・ウォーターズみたいなブルーズではないけれど、たしかにどこかブルージー、そんな風に思います。