俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

戸川純「さよならをおしえて」

僕も今ではいいおっさんです。今日の晩御飯はつぼ鯛、サラダ、シーフドマリネにライス、ビールを少々。

20年前は、26歳、ただの無職でした。昼間から街の真ん中のベンチに坐って、空を見上げていました。「今日は何をしようかなあ…」。そんな時聴いた音楽は、ちょっとやそっとでは忘れられません。

戸川純『好き好き大好き』(1985年発売)

僕が買ったのは88年の初夏だったでしょうか。アナログからCDへの切り替え時期で、中古LPががくんと安くなったような記憶があります。このアルバムの、LPだとA面最後の曲が「さよならをおしえて」。フランソワーズ・アルディのカバーです。戸川純自らが日本語詞を書いています。間奏でのセリフが鮮烈。

「例え大惨事が起きて 濁流が走り

街中が廃墟と化しても

シェルターの重い扉を開けて

貴方の名前を呼ぶ私」

どこが鮮烈かというと、聴けばわかるんですが、「例え大惨事が起きて」が明らかに

「たとえ『第三次』が起きて」

と発声されているんですね。80年代の反核のうねりを思い出してください。核拡散を風刺した米ドキュメンタリー映画『アトミック・カフェ』が1982年、チェルノブイリ原発事故はこのアルバム発売の翌年、1986年です。この一節は反核運動へのアイロニーのようにも、逆に暗黙の連帯表明のようにも取れます。

昼に起きて、街へ出て、ジャス喫茶に行って、バイトに行って、深夜まであいている古本屋さんへ必ず寄って、帰宅して、明け方まで本を読み、LPを何枚か聴いて…

気楽といえば、あんなに気楽な生活もちょっとなかった。でも、それをずっと続けることは出来ないだろう、ということは、ぼんやりしている僕にもだんだんわかってくるのでした。この曲を聴くと、あのとき読んだたくさんの本、お世話になったたくさんの人々のことを思い出します。それにしても、今日のつぼ鯛は美味でした。