俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Yes, we can~札幌行きで受けた知的刺激を整理して過ごす一日

 この時期にペテルブルグ住まいのアレクサンドル・ブロークとモスクワ住まいのボリス・ブガーエフは親しくなった。ブガーエフの父親は教授で、著名な数学者、哲学者であり、『発展における単子論の基本的原理』という研究を発表している。ブガーエフはウラジミル・ソロヴィヨフの甥セルゲイ・ソロヴィヨフとともに若き詩人たちのサークル「アルゴ船人」の中心人物だった。彼はブロークよりもずっと抽象と理論を好んだ。二三 歳で、彼の人生はさまざまの思想家との出会いによってすでに方向づけられていた。それらの思想家は年代順にあげると、ヴェーダ哲学派、ショーペンハウエルラスキンドストエフスキイイプセン、フランス現代派、ニーチェ、ソロヴィヨフ、フェート、バリモント、グリーク、ワグナー、科学哲学のヴント、ヘフディング、カント、ブローク、ブリューソフ、メレジコフスキイ、メトネルシューマンである。この広く混沌とした教養と、漠然としてはいるが驚くべき思想によって、彼はモスクワの若い社会の鼓舞者、「モデル二スト」の先触れとなった。彼は詩を音楽に結びつけ、本質の探求を形式への積極的な配慮に重ね合わせた。一九〇二年に彼は『シンフォニイ』を出版するためにアンドレイ・ベールイペンネームを使った。

 

ロシア・ルネサンス―1900-1922 (1980年)

ロシア・ルネサンス―1900-1922 (1980年)

 

  この広く混沌とした教養、というところ。

 ロシアの19世紀末~20世紀初頭のシンボリズムは、あらゆる芸術上の思潮がそうであるように、なにか画然としたジャンルの区分として出発したわけでも何でもないだろう。ただ、科学的な観察と手法を同じくするリアリズム小説の隆盛への反動のような、そんなものだったのだろうか。その渦中の星雲状態を垣間見たいなあ、などと思って、この本をまた引いておく。

 札幌で話題になったのは、ベールイ、やっぱり難しいよね、という話。生半可なロシア語で独力でかぶりついても、なかなか読めたりはしない。邦訳ですら難しい。それでも、いつか読めるようになるさと、フランスのロシア書店から、リプリントをごっそり買ってある。明日あたり、本棚、開いてみる。

 昨夜から今朝にかけては、グラーニン『恐怖』というのを。これも札幌で話題になって、そうか、『恐怖』は一年半前、スキャンしてこのサーフェスに入れっぱなしだっけ、と思い出す。これがまた実に面白い。恐怖というものをあらゆる角度から分析し、戦場での恐怖体験から、全体主義政治の恐怖へと叙述が展開する。『恐怖』は翻訳はないのか。1941~1944年のレニングラード包囲について以下の本が出ている。アダモヴィチと共著だ。

 

ドキュメント 封鎖・飢餓・人間〈下〉―1941→1944年のレニングラード

ドキュメント 封鎖・飢餓・人間〈下〉―1941→1944年のレニングラード

  • 作者: アレーシアダーモビチ,ダニールグラーニン,宮下トモ子
  • 出版社/メーカー: 新時代社
  • 発売日: 1986/04
  • メディア: 単行本
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ドキュメント 封鎖・飢餓・人間〈上〉―1941→1944年のレニングラード

ドキュメント 封鎖・飢餓・人間〈上〉―1941→1944年のレニングラード

  • 作者: アレーシアダーモビチ,ダニーグラーニン,宮下トモ子
  • 出版社/メーカー: 新時代社
  • 発売日: 1986/03
  • メディア: 単行本
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 ただ、なかなか疲労回復せず、本来しなくてはならないことには取りかかれず。アマゾンでキンドルのゼロ円の英訳テクスト、いくつも落としてまたぞろ宿題を増やしている。メーテルリンクストリンドベリのほか、シンボリズムの思潮を作り出すのに貢献したスコルピオン社の翻訳の最初の一冊がイプセンと知り、俄然興味をかきたてられたりしている。こっちも、行けるとこまで行ってみたいのはやまやまだ。というか、ぜんぶ最後にはつながっている、ということになりそうな気もして、胸が騒ぐ。いざ生きめやも。


Lee Dorsey Yes, we can pt 1 1970