岬でまつわ~「ゆっくり急げ」という古い格言
まず、次の文をご覧ください。どのように読んだらよいでしょう。
Festina lente!
最初のfestinaは「急ぎなさい」、次のlenteは「ゆっくりと」という意味の語です。あわせて「ゆっくり急げ」ということです。ラテン語の格言で最も有名なもののひとつです。ただし、本書では決して急がず、あくまでもゆっくりと進めていきましょう。
このシリーズの、古典ギリシア語のほうが先に出たんだっけか。たしかそっちのほうでも「ゆっくり急げ」という例文が最初に出てきて、今も忘れない。
とにかく、大学にいくつも通わせてもらったのに、結果的に古典ギリシア語もラテン語も授業をとらなかった、というのが、何とも悔いが残る。これらをしっかりかじっておきたかった。
英語の先生がラテン語を読めるという例はいくらでもあるし、ロシア語学も、中世や、古スラブ語をやる場合、ギリシア語の知識が必要になることがある。ただし、そこで言うギリシア語はたぶん新約聖書のギリシア語で、古典ギリシア語とはまたかなり違うらしいのだ。
で、それ以前の問題として、選択必修のような位置づけだったドイツ語を、必ずしも取らなくていい、と解釈して途中でやめてしまった自分の、なんというか執念のなさが、ほんと痛恨だったりもする。
ただ、その後ロシア語を選ぶことになり、そっちはまあまあだったのは、最初の失敗で懲りているせいもあるだろう。
どなたかが言っておられたように、意志が強いとか意志が弱い、というのは結果を言い表しているに過ぎない。意志が弱いから語学がものにならない、だったら意志を強くすればいい、というのはまったく現実に即さない抽象論だ。いくらやっても身が入らず、語学がものにならない状態を指して「意志が弱い」と言うのであり、そこをぐっとこらえて単調で苦しい例文やら変化表の暗記をこつこつとやれるようにもっていく、その結果として「意志が強くなる」のであって、「意志が強い⇔意志が弱い」という単純なスイッチみたいなものが人体のどこかについているわけじゃない。
ラテン語は、たしか最初の大学の学内誌みたいなものに外国人教師のインタビューが載っていて、学生もみんなまじめてすごく楽しい授業をしている、と語られていたのを読んで、すごくうらやましかったのだった。
なにより、入試の段階で入り口を厳格に区切られてしまうことへの失望、というのはあった。経済を専攻に選んだら、いくら得意でも、もう国語や英語の教員免許を取る道は閉ざされてしまう、ということが、ぜんぜんわからなかった。事前にも知らなかったし、知ったあとも、どうにも納得がいかなかった。
そういえば、この間、本の山のなかから、長いこと捜していたアダム・スミスの『道徳感情論』の原書が出てきた。こういうのを読むんだと思って大学に入ったつもりだったけど、とんでもなかった。これからでも読む機会があれば御の字、くらいか。その意味で、ぼくはずっと、卒業のない大学の一学徒にすぎないといえる。いつの日か読むために買った本だから、断捨離なんてとんでもないですね。ゆっくり急げ。
The Theory of Moral Sentiments
- 作者: Adam Smith
- 出版社/メーカー: Enhanced Media Publishing
- 発売日: 2016/12/18
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岬でまつわ JAGATARA(じゃがたら)1988年4月23日