俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

愛と誠~へらへらぼっちゃん

 十六歳で歌手になろうと思い、十九歳でレコードデビューした、というと、一見、なかなか順調やないか、と思う人もあるかもしれぬが、そうではない、その後が悪かった。レコードがちっとも売れぬのである。通常であれば、その時点から下積み生活、旗を持って田舎のレコード店を回って蜜柑箱の上に立って歌を歌い、宣伝にこれ務める、放送局に行って土下座をする。キャバレー、アルサロなどで酔漢の野次と怒号のなかで謝りながら歌う、なんてことをするのだろうけれども、どういうわけか自分は、そういう地道なことが大嫌いで、考えた揚げ句、なるべくいい曲を書けば売れるのではないか、ってんでいろいろ勉強して、自分でも、こいつぁいい、と思う曲をいくつか書き、またレコードを出す、コンサートをやる。ところが、また売れない。反省して書く、もっと売れない、もっと反省して書く、ますます売れない。努力すればするほど売れなくなっていくのである。

 

へらへらぼっちゃん (講談社文庫)

へらへらぼっちゃん (講談社文庫)

 

  町田康の文章は、まあまあだ。まあまあ、というのは、作為的なとぼけが見え見えの場合には目をつぶってあげる必要もあるから。

 たとえば、この本じゃないけれど、いつだか公民館に行って地方紙を読んでいたら町田氏がコラムを書いていたのだが、友人と将棋を差し、最近は多様性が大事だというから碁石も盤上にまぜたら、友人がお前とは将棋を差せないといって帰ってしまった、という内容だった。これはまあ、町田氏だから許されるので、こういうおとぼけはふつうは身内の間柄でだけ言うものだ。

 ぼくも、テレビでサッカーの中継をやっているときなど「ばっかでえこいつら、抱えて走り込めばいいじゃねえか」などと言うことはあるのだが、むろんおうちにいてくつろいでいるからこそ言うので、たとえば研究滞在に行った先の大学でこんなことばかり言ってたら、かなり深刻な苦境を招くだけだろう。

 ああそうだ、正月の箱根駅伝というのも老母が観るので一緒に観ることが多いけれど、やはり「こいつらバイクの免許持っとらんのじゃな。走っとるぞ」などと言うと、老母や年賀に来た妹らもひじょうに困った顔をしている。これは亡くなった祖父の岐阜弁をまねて言っているのだが、そうか祖父の影響もあるのかもしれない。子供のころ、祖父と一緒にふろに入り、水の上を歩く方法だとか、おならでろうそくの灯を消す話だとかを聞いて育った。

 祖父は老母の実父。むことしてうちに来た亡父は冗談のいっさい通じない人で、この二つの血がせめぎ合っているぼくもなかなか自己統御が難しくて、けっこうこれで大変なのだ。ふざけてんのか、と言われる場合、たいていぼく自身は大まじめだ。


愛と誠・完結篇/早乙女愛・加納竜/予告篇