俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

さよならをするために~ファンヒーターの壊れた日の古い日記

In 1925, convinced the horrors of the "war to end wars"(World War Ⅰ)were behind them and prosperity lay ahead, fans of popular fiction [in] United States and Great Britain were greeted in their bookstores by an unheralded novel that was fictional, but would prove to be eerily prescient. Titled "The Great Pacific War," it was written by Hector Charles Bywater, a man with a slightly shady past. A former reporter for the New York herald, Bywater had served as a British spy during World War Ⅰ and would later work as a naval correspondent fot the London Daily Telegraph, up until his death in 1940,  allegedly under mysterious circumstances.

 "The Great Pacific War" told the tale of a surprise attack in 1931 on American naval ships in Manila Bay by Japanese planes that were launched from aircraft carriers, at a time when aircraft carriers were very much in the experimental stage.[...]

Japan Times On Sunday, Dec.4 2016.p.14

 拾っておく。太平洋戦争に先立つ、予言的架空戦記があったという、そんな記述。現物はどこにあるか。あとで調べる。

 昨日のエントリーが日付けをまたいで今日になってしまい、今日二つ目の投稿になってしまうが、まあよかろう。ここに思ったことを吐き出しておく習慣になっているこの一年ほど。

 だが、これは日記ではなく、その日何があったかという記録は、別にノートにつけている。これがあんがい役に立つ。

 昨日は、今秋に買ったばかりのファンヒーターがどうも不調で、取扱説明書どおりにフィルターの掃除をしても復旧せず、それをあきらめた。で、数年前に買ったのを出してきた。それは、停電のときも困らぬようにと買った、ファンヒーター式でない石油ストーブだ。何とかそれが使えるので、今冬はそれを使う。私設研究室=勉強部屋くらいなら十分だ。やかんを置いて、湯が沸いて…というのも懐かしい。一息入れるのにコーヒーなど飲める。

 で、その小さな石油ストーブが、最初点火しなかったのだ。いろいろいじって、着火用の電池を取り換えたらちゃんと点火したので、それでよかったのだが、ぼくがいろいろやっていると、老母が、せっかく地元の燃料屋で買ったので、明日来て見てもらえばいいというのだ。だが、ぼくの記憶では、地元ではなく、どうもとなりまちのホームセンターで安かったのを買った記憶がある。それでちょっと押し問答になった。

 で、結果、ぼくのカン違いがわかった。老母が保証書を出してきて、見たら三年前の10月某日の日付けが入っている。ただし販売店のスタンプもなにもない。そこでその日付のメモを取り出し、見たら、なるほど老母の言う通りだ。停電があって、それで風呂のボイラーが異常通電して壊れてしまい、ボイラーを入れ替えたことがあった。そのとき、ストーブも、電気が来ないときに使える小さなものを、と注文して燃料屋から買ったのだった。となりまちで買ったのは、別のファンヒーターだ。

 そんなこんなで気づいたら零時を回っていた。

 勝手にもう春へのカウントダウンを始めている真冬。冬至すらまだ過ぎてはいないが、『世界の快適音楽セレクション』で、ビル・エヴァンズが流れていたのを聴いたら、あとふた月半もしたら、また寒さが緩んで、雪どけを待ちながらピアノ・トリオを聴いているだろう、何もかも一段落しているだろう、そんなふうに思えた。むろん、吹雪も厳寒もあるだろうが、春を待つ心の中にこそ春の芽吹きが早々にやってくると思いたい。

 語学の総復習は、習慣づけてしまうと苦痛ではない。本業の「しごと」のほうが、はるかにきつい。


天地真理 ☆ さよならをするために