そして僕は途方に暮れる~学問せぬは親不孝・やりすぎるのも親不孝
私が経済の道に進んだのは、和歌山県立桐蔭高校時代、倫理社会を習った[…]先生の影響が大きい。先生が宿直の日の夜九時頃、部屋におかきとコーラを持参し押しかけた。そのとき、先生から言われた言葉がある。「大学に行ける者は、行けない人の分まで勉強しろ」である。この言葉を肝に銘じて大学時代は勉強に励んだ。
現在もメディアでこの問題がさかんに取り上げられる。当時も学業はできたが、経済的な事情で大学に進学できない人たちがいた。それは今以上かもしれない。私自身も地方都市の小さな商店の次男で、東京の大学に出してもらえるかどうかわからなかった。両親はおそらく食べるものも食べないようにして、仕送りしてくれていたのだと思う。
世界大変動と日本の復活 竹中教授の2020年・日本大転換プラン (講談社+α新書)
- 作者: 竹中平蔵
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/10/21
- メディア: 新書
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ふと借りてきた本の一節。著者についてはぼくは評価を下せるだけの床屋政談力がないので何も言わないが、こういう話には弱いんだよ。
ぼく自身はその点、まことに親不孝な子で、父だけでなく、母、祖父までが血のにじむような肉体労働をして通わせてくれた最初の大学の二年生後期から三年生にかけての授業に、ろくに出なかった。こう書いていても痛切な悔悟の念に駆られるが、一見、大学のセンセイの授業って、冗漫で熱意がなく、出る値打ちがないかのように思えてならなかった。たいていの学生は、もう半分オトナだから、そんな第一感に惑わされて不登校におちいったりはしない。そうして半年、一年かけて経済学や法学の体系をひとつひとつ習得してゆくことの意義を知ってゆく。自分には、どうもそうしたオトナらしい根気がなく、自主的に本を読んでいれば埋め合わせはいくらでもつくように思っていた。あのとき無為に過ぎた2年ばかりは、もう泣けど叫べど取り戻せない。
その後、回り道の果てに大学で教える巡り合わせになったとき、学生たちに同じ轍を踏ませまい、という義務感で過剰にガチガチになったのは、だからごく自然なことだった。目の前に座っている数十人の若者らをここに通わせるため、お父さんお母さんが食べたいものも食べず、必死で働いて仕送りしている。そのことの重圧は、おかしなことだけれど、教える仕事を辞めた今でもひしひしと感ずることがある。
そのかわりジャズにはずいぶん詳しくなった、などといい加減なことを自慢たらしく書くのはやめておこう。けっきょく、経済なんて行くのが間違いだったんだよ、という総括の仕方でごまかしてしまうことが多いけれど、経済学自体も、けっして面白くないわけではなかった。マルクス=エンゲルスやヒルファーディングの訳書とか、経済史や経済学史の本などは、今でも古本屋などで見かけると、そこだけ青白い光を放っているように感ずる。
ポツリポツリと、経済学の入門書・啓蒙書を買ったり借りてきたり、ということが、最近また多い。その後語学をやることになったけれど、こういうものと語学の習得が有機的に合体する、という風に行かなかったのは、どうにも仕方のないことだった。
片山杜秀がラジオでしゃべっている。どこか都会のお金のあるおうちに生まれたら、音楽ざんまいをしながら学問もできたのかなあ。