Baroque Trumpet Concertos~星くず語学徒の冬学期四日目
「普遍的人間性」というようなものはない。仮にあったとしても、それは現実の社会関係においては、「現状肯定」━━「存在すること、行動しないこと」を正当化するイデオロギーとしてしか機能しない。マルクスはそう考えました。人間は行動を通じて何かを作り出し、その創作物が、その作り手自身が何ものであるかを規定し返す。生産関係の中で「作り出したもの」を媒介にして、人間はおのれの本質を見て取る、というのがマルクスの人間観の基本です。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/06/20
- メディア: 新書
- 購入: 43人 クリック: 418回
- この商品を含むブログ (342件) を見る
マルクスを一回くぐり抜けた、と言えるほど読んだわけじゃないが、大学一年の冬休みは国民文庫版の『経済学批判』を読み通し、これを足掛かりに『資本論』まで、と思っていた。しかしそれにしてはその後『資本論』を全巻そろえたという記憶もない。結局どうしたんだろうか。
というか、『経済学・哲学草稿』とかのマルクスなのだろうかこれって。経済学とは縁がなくなった今でもすとんと腑に落ちるし、昔から、こういうところは近経なんかより断然面白いという感想があった。ただ、80年代初頭、当時すでに大学のカリキュラム上では新古典派やケインズを中心に科目が組まれていたので、こっち方面は経済史や経済学史の先生が語っているほかは、あまり詳しい解説をしてくれる先生がいなかった気がする。それで、それきりなのだな。でも、すごく強く残っている。
だから、その後、人文系の思想書で話のまくらとしてマルクスが出て来ると、とても懐かしいし、多少かじっておいたおかげでよくわかる。人間の作ったものが逆に人間を規定する桎梏となり…という論法は、さんざん幼い頭で考え抜いたから、すいすい飲みこめる。
で、ひとりで勉強を続ける星くず語学徒としては、ドイツ語をもう少し身を入れてやっておかなかったのが悔やまれるが、昔はとにかく、まわりにお手本となる先輩がいなかった。いや、いないこともなかったのだが、彼らは経済の学生を「君にはわかるまいが…」と低く見ていたし、こちらも、「あんなダサい努力をしてまで…」と、当時の〈軽薄短小〉の風潮に毒されていた面も大いにあった。
この冬は語学の総復習に…と書いているが、大きな仕事のあてもないままなぜ語学をやるかというと、やらないと、気持ちがすさんで、日々の生活が暗くなるからだ。それに去年の研究滞在で、せっかく知り合ったロシアの研究者に、知っていることの半分も伝えられなかったとか、ことしもロシア語で報告原稿を書いたけれど、うまく書けなかったとか、そういう経験をしたこともやはり大きい。ほんと、次はもっとうまくやりたいのだ。
こないだNHK-FM『リサイタル・ノヴァ』で、クラシックのトランペット奏者が出てたが、すばらしくて、しばし聴き惚れた。