俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ジゴロ

岡崎は明治三十七年、日露開戦の年、北海道・江差で生れた。家計を元にたどれば広島県の郷土。父親北海道庁に勤める中級官吏で、幼い岡崎は、父の転任にしたがって網走、次に帯広で育ち、五歳のとき両親や兄弟姉妹五人とともに東京に移り住んだ。

 

老人の美しい死について

老人の美しい死について

 

  向坂逸郎訳となっている岩波版のマルクス資本論』の実質的訳者、岡崎次郎のこと。

 岡崎著『マルクスに凭れて六〇年』は一九八三年の刊だけれど、よほどカルト的人気のある奇書らしく、古書はバカ高くて手が出ない。近所の図書館のサイトで「岡崎次郎」を検索すると、朝倉喬司『老人の美しい死について』がヒットし、さっそく借りてきた。

 岡崎の数奇な人生行路は、これで大体わかる。東大文学部での哲学研究、経済学部への再入学。養家から仕送りをもらって遊びまくったこと。戦前の左翼運動のこと。満鉄調査部の仕事を徹底的にサボって賭け碁ばかりやっていたこと、北京で終戦、命からがら帰国し、すでに飛ぶ鳥を落とす勢いだった向坂に『資本論』の翻訳をもちかけられること、それが「共訳」ではなく「下訳」とされても呑まざるを得なかった屈辱。岩波版の印税を放棄し、大月書店の国民文庫で『資本論』の新訳を行い、読みやすさが受けて大ベストセラーとなったこと。しかし、その印税も使い果たし、七九歳のある日、財産を整理し、妻と失踪してしまうこと──。すごい。すごすぎる。

 向坂逸郎が「いちろう」であるのに対し、岡崎が「じろう」であることが印象的。二人の関係にははじめから越えがたい上下の関係が埋め込まれていたかのようだ。岡崎が東大の院生三人を巻きこんで大月書店・国民文庫版の新訳を準備していた時、向坂が横やりを入れてくるいきさつは唸ってしまう。そんなことをするなら岩波版の印税は渡さない、弁護士を送り込むぞ、と恫喝する向坂に、めんどうなことが嫌いな岡崎は、運動への資金協力の意味合いで著作権を放棄しろと言うのなら応じよう、とあっさり譲歩してしまうのだ。

 ここまで言われたら、ふつうの知識人ならハッと我に返って、自分を恥じるところだろう。ところが、向坂は10年ぶりに岡崎氏に面会を申し入れてくる。会ってみると、いや、これが懐かしくて、話に花が咲く。わだかまりはすべて解けたかのよう。さいご、向こうから謝罪があったか? おれが悪かった、と言ったか? 向坂はたったひとこと、「あなたの気持ちもよくわかった。いろいろ物入りがかさむので、ひとつよろしく頼みます」。つまり、どうか著作権は放棄してくれ、ということ。

 このあと、新聞に岩波書店の広告がでかでかと出る。

マルクス資本論』百年記念、向坂逸郎訳『資本論』全四冊、五十年にわたる研究の成果、畢生(ひっせい)の訳業ここに完成」

 いや、笑いごとではないのだが。

 ぼくは専門外だから、こうした記述にもとづいて、一方的に向坂逸郎を断罪する権利も資格もない。ただ、数年前、クラシック音楽界をゆるがせたゴーストライター騒動を思い起こす人は多いだろう。あのときも、代作をしていた現代音楽家の記者会見での話しぶりからうかがえたのは、代作を依頼した方にも、ずるさや尊大さと渾然一体となった、えもいわれぬ人間的な魅力があったのではないかということ。なんか同じことをここにも感じた。


中原めいこ-ジゴロ