伊藤咲子「リトル・プリンス」
私は一九六〇年生まれなので、高校生時代の七〇年代後半は、かつての学園紛争の嵐は過ぎ去っていた。しかし、社会や政治に関心をもつ高校生は、マルクス主義系の本を熱中して読んでいた。私が学んだ埼玉県立浦和高校でも、新聞部や文芸部に所属する生徒は、背伸びをして、マルクスやレーニンの著作だけでなく、ルカーチや廣松渉の哲学書を読んでいた。こういう先輩や友人の影響を受け、私もマルクス主義に強い関心を持つようになった。
資本主義の極意―明治維新から世界恐慌へ (NHK出版新書 479)
- 作者: 佐藤優
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2016/01/07
- メディア: 新書
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これは借りてきた本だが、なかなか。
日本経済史は自分もきちんと単位を取ったつもりだったが、一体何を習ったんだろう、というほど何も残ってはいない。
日本資本主義論争などというのも、当時講義で聴いていたはずなのだが、ほとんど記憶に残っていないので、少しメモしておく。
明治維新を天皇制確立を柱としてとらえ、絶対主義に類比し、日本ではブルジョア革命(市民革命)はまだ起こっていない、とするのが講座派。これは共産党系で、岩波書店から出た『日本資本主義発達史講座』という全集にちなむ名。
明治維新は土地制度の改革などを進めたのでブルジョア革命だった、日本は日清・日露戦争を経て高度な資本主義国家となった、ととらえるのが労農派。これは非共産党系で『労農』という雑誌名にちなむ。
これを学生時代にきちんと聞いたことがなかったというのは、担当教授にとってこれしきのことは自明すぎて、あらためて相対化してていねいに説くまでもない、という頭があったからだろう。この講義は当然こっちの立場ですよ、という講釈も記憶していない。あるいは、さぼって聴いていないだけかもしれないが。
基本的に日本では講座派の史観が優勢で、GHQも講座派の認識をもとに日本に民主化を持ち込む必要性を重視した、とか、のちの日本式経営論・トヨタ式経営論、ジャパン・アズ・ナンバーワンといった日本特殊論も、講座派の認識に立っている、とかのまとめかたは、おぼえておいてもよいだろう。
上に拾っておいた通り、あとがきでちらっと触れられている、著者の当時の都会の高校生の知的早熟さがうらやましい。ぼくなどは、マルクスやレーニンを読むどころか、その邦訳本の現物というのも、大学へ入って、本屋にならんでいるのを見て「こんなにあるのか」と仰天する始末だった。
ただ、ぼくは基本的に暗い人間なので、高校時代からこの手のシリアスな思想書のたぐいになじんでいたとしたら、早々に人生がドンづまっていた可能性が高い。都会の高校によくあったらしい〈社会科学研究会〉のたぐいが政党やセクトのフロントサークルだったというのも、田舎の高校生にはわからなかったことで、もしわが母校にそういうのがあったとしたら、能書きを信じ込んでまっすぐに飛び込んで、さんたんたる思いをしていただろう。そうならなくて、フォークソング同好会くらいですんでよかったと思うしかない。
一九五八年、五九年、六〇年、このあたりの生まれというと、伊藤咲子さんあたりがそうだろうか。↓これは、ぼくが大学へ入ったころ、TVで歌っておられた。大ヒットしなかったが、咲子さんにとって、大事な大事な一曲のはずだ。