俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

北鎌倉駅(晩春 1949)

 先日、小津安二郎の『晩春』をBSで放映するというので録画しておいた。で、昨日観た。

 妻に先立たれた父と、婚期を過ぎようとしている娘。見始めてすぐ、またこのパターンか、と、驚くというよりなんというか感心してしまって、これはもうゲラゲラ笑いながら観るべき映画なんじゃないか、などと一人で決めて観ていた。小津のことはこれまで十分に的確かつ正当な評価がなされてきた(んだろう)し、これからもそうだろうから、ぼくのような門外漢としては、腹を抱えて笑い転げちまったよ、と、じっさい笑い転げることはなくてもブログに書いておこう、と思いながら観た。

 いやこれは立派な映画なんだけれど、じっさい途中からゲラゲラ笑い転げて、どうしようもなくなった。原節子演ずる紀子が縁談を承知しない理由を、叔母の杉村春子と父の笠智衆が推測する場面。縁談の相手の佐竹という商社マンだかの名が「熊太郎」というのを紀子がいやがってるんじゃないか、というんだ。「熊太郎」なんて、なんだか毛むくじゃらなそんなイメージがあるとかないとか、二人が淡々と会話を交わすのだけれど、ここで笑いが止まらなくなった。これ、われわれの世代で言えば「ヘビジ」ですよ。

 説明が必要だろうか。80年ごろの漫才ブームのまっただ中のTV番組で、あるとき漫才コンビと歌手が即席のトリオを組んで一席やる企画があったのだ。ビートたけしのツービートは千昌夫と組み、今売出し中のアイドルの悪口を言う、という趣向。そこで田原俊彦の悪口になるのだが、千昌夫は何を思ったか、「田原俊彦の父親は田原ヘビジっていうんだよ」と言いだすのだ。

 この「ヘビジ」の名のアナーキーな破壊力は、この番組の一回こっきりで忘れられることはなくて、『ビートたけしオールナイトニッポン』でのハガキ職人=10代の投書家たちの格好のギャグの素材となって受け継がれていく、ということがあったと思う。かくいう自分も、盛んに酒を飲んではしゃいでいたころは、この、じっさいにはおよそありえない奇矯な固有名を名乗ったりして笑い転げていた(ビートきよしのことを「金子へびじ」と呼ぶ向きがあったのは、あくまでここから派生したハガキ職人たちの創作だという記憶があるのだが、今、ウラが取れない。どなたか詳しい人はいらっしゃるだろうか)。

 「熊太郎」は、それを思い出させるものがあった。

 いや、映画は立派なのだ。父親を演ずる笠智衆は、経済学の大学教授という設定なのか。リストのつづりにz(ツエット)は入っていないだろう、zが入っているのは音楽家のリストのほうだ、などと助手の服部に話している。フリードリッヒ・リストは19世紀ドイツの歴史派経済学の開拓者といった位置づけの人。紀子の同級生の月丘夢路は一度結婚したものの夫の不実か何かで別れ、速記者で生計を立てているというけど、「速記者」と言わず、あくまで「ステノグラファー」と言っている。その住まいにある洋書も、あれはどんなものなのか。自転車による散策の途中には「drink Coca-Cola」の看板。ただ、ロシア・ソ連の影がない。ぼくには全く土地勘がないんだけれど、このあたりがのちに、加山雄三加瀬邦彦、桑田圭祐らの音楽世界の舞台となってゆく土地柄なんだろうか。

 とか、その種のことはさんざん論じられてきたのだろうな。いろいろ面白かった。


北鎌倉駅 (晩春 1949)