俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

人を恋うる歌


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 「人を恋うる歌」。与謝野鉄幹作詞、作曲者不詳という以外、この歌については何も知りません。ただ漠然と、歌謡曲の前身ってどのあたりまでさかのぼれるのか…と考えている時、ふと検索してこの曲に行き当たりました。

 これを時代の文脈に置いて論ずるなどという準備はもちろんないのです。ただ歌詞を聴いていて、

 簿記の筆とる若者に 真(まこと)の男子(おのこ)君を見る

 という一節があったので、鉄幹はどういうつもりでこの一節を書いたのか、と感慨がありました。

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 今日では高校卒業では事務職に就くことができない、と聞いたのはいつだったでしょうか。それを言うなら、大学を出ていたって、事務さえ執っていればお給料がもらえる、などという仕事は、今あるんでしょうか。コンピューターの急速な発達が会社組織の事務作業を大幅に省力化し、生身の人間に求められるのは、機械的な処理の効かない調整や交渉、販売、営業、管理などのスキル。この歌にあるような帳簿に文字や数字を記入してゆく仕事は、かつては読み書きや計算の能力のある成人男子の立派な仕事だったでしょうが、今日では会計ソフトが代行するようになっているんだろう、というのは会社勤めしていない素人でもわかります。

 ただ、かつて会計学のゼミに籍を置いた身としては、会計学原理や簿記原理の本当の意義が、理系の大学などでは十分に理解されていなかったのが本当に残念でした。

 大学2,3年のころの講義で、財務会計の教授が「たとえ理系のエンジニアでも、将来会社の取締役になった時には、会計学を一から勉強しなければならないのだ」と説くのを聴いたような気がします。会計なんてソロバン勘定だろう、ごく初歩の計算能力さえあればわかるんだろう、というのはまんざら当たってないわけでもないですが、それでも〈一般に公正と認められた会計原則〉にのっとって会社組織を運営しようと思えば、会計学を全くかじったことがないというのでは済みません。

 それはちょうど、数学を知らずに物理学ができないのに似ています。うん、そう、物理学者にとって数学は〈言語〉なのだ、という話をする人もいますが、複式簿記の原理というのは、営利/非営利を問わず、お金の出し入れをともなう組織の運営がそれなしでは成り立たない精緻な〈言語〉なのですね。

 ずいぶん前にここで書いた覚えがありますが、ある会議で、会計専門職の大学院のことを理系の教授が「簿記学校を作るつもりか」と揶揄する場面に立ち会ったとき、自分のことを言われたわけでもないのに(語学担当の自分には何の利害もないのに)ずいぶん不快な思いをしました。それは、今じゃエクセルがやってくれるから統計学の講座なんかいらないだろう、というのと同類の、きわめて乱暴で不当な言いがかりに思えました。

 さきに述べたように、いまではパソコンや会計ソフトが、じっさいの事務処理の大半をやってくれるでしょう。しかし、使う側に専門知識がないと、その適切な使用はとうていおぼつかないでしょう。ましてやそれを管理する専門職にどれほどの深い知識とプロとしての良識が要求されるでしょうか。

 自分が大学という場において文系と理系の対立の真っただ中に身を置くなどということはもはやないでしょうが、今なら、くだんの理系の教授に、ここに述べたようなことをやんわりと説くことができるような気がします。そして、会計学/簿記の授業なんてつまらない、と嘆いている文系くん(女子もね)がもしいたら、腐るな、君の勉強は十年、二十年後きっと花咲く、と励ましたい気がします。