織江の歌
私は、二十年以上、資格予備校で「憲法」や「政治学」を教えたり、大学で、「日本現代文化論」といった科目の講師をやったりしてきました。
内容は興味深くて、とても参考になったけれど、そのことじゃなく、上に引いた箇所なんかが気になった。
著者は「見えない大学本舗」を主宰し、『ニセ学生マニュアル』というなかなか画期的な本のシリーズを手がけたり、大学に籍のある研究者とは一線を画した教養論を著したりという人だと思うが、なんといっても司法試験に合格し、しかし司法修習を途中で放棄し…という来歴に、根っこの太さを感ずる。
そういう、司法試験なり、税理士試験なり、公認会計士試験なりの明確なゴールに向かって、自分を追い込むような勉強をしてみたかった気はずっとあった(さいしょの大学を出るころになって、それに気づいた)。資格を取って一生安泰…という意味合いではない。弁護士の就職難、会計士の廃業の多さについては近年もれ伝わってきているし、そのことへのうらやましさではないのだ。
もともと語学をやりたかったので、若いころその重要さに気づかなかったが、民法なんて、疑問はわきに置いておいて、集中して勉強して、フランスから継受された私法の原理や体系をがっちり頭に入れておかなかったのは、西洋の文化や思想を学ぶ身になってからも、まったく惜しいことだったと思う。そして、司法試験は無理でも、人生勉強のつもりで、行政書士や宅建をとれば、きっとよかったろう。
で、その後語学に転じたって、ぜんぜん無駄なことでも、悪いことでもない。オレだって資格予備校くらいなら教鞭をとれた…と言うとしたらまったく烏滸がましいが、大学のカリキュラムがちっとも資格や就職に即していない、と暗い顔をしていたかつての学生たちに、何か力になってやれたのではないか。
いや、もっと簡単なことで、貧乏な親が必死に働いて通わせてくれた学校なのだ。経済や法律の科目をいやがって、ろくに勉強しなかったのは、ほんとうに悪いことをした。