俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

T・S・エリオット『キャッツ』

 どこかのブックオフ(かその種の新古本店)で買ったまま書棚で眠っていたこの本。

 T・S・エリオット『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う法』(池田雅之訳、ちくま文庫、1995年)

 ミュージカル『キャッツ』の原作本か…程度の認識で買ったはず。解説を含めて127ページという、薄い本です。

 僕は英文科の授業もずいぶん取りましたけど、モダニズムの詩の授業というのは取ったことがなくて、エリオットもよく知らないんですよ。で、先日「伝統と個人の才能」というエッセイをはじめて読んで、なーんだ、こういう議論をする人だったのか、とびっくり。ロマン派的な個人の才能の役割をある意味否定し、「伝統」の果たす役割を強調した詩論ですが、この場合の「伝統」は殆ど「間テクスト性」と同義だ、ということもおぼろげながらわかりました。ブレイク学者だった由良君美さんがこのエリオットの反ロマン派的詩論を全否定する論文をお書きになっていたそうで、読みたいですねえ。

 

 でこの『キャッツ』。原題はOld Possum's Book of Practical Cats, 1939. Old Possumはエズラ・パウンドがエリオットにつけたあだ名だそうです。「いかにも気むずかしげなエリオット」の「こんな楽しいナンセンス詩集」に気づかなかった人も多いだろう、と訳者解説にあります。

 こういう本って、気持ちの余裕がないと読めないんですよね。なにか材料をもとめて斜め読みするなら数分で「読め」てしまうけれど、それでは詩を読んだことにはならないでしょう。

 猫に名前をつけるのは、全くもって難しい。

  休日の片手間仕事じゃ、手に負えない。

 寄ってたかってこのわしを、変人扱いしとるけど、

  いいかね、猫にはどうしても、三つの名前が必要なんだ

 この七五調の軽快さにつられて、一気に読みました。楽しい本です。「本猫」と書いて「猫」に「にん」とルビが振ってあり、「ほんにん」と読ませる仕組み。ただ、もう一ひねりして、「にゃん」とルビを振って「ほんにゃん」と読ませる、というところまでやったらもっとよかったでしょう。

 

 僕には詩はわかりません、と宣言して散文的な読書に没入するというのもひとつの行き方でしょうが、それではなんとも寂しいです。あえて「君に詩はわかるか」と訊かれれば、「なかには僕にもわかる詩がありますよ」と答えられる程度でありたい。ところで『キャッツ』、まだ舞台を観たことないんですよ。いつか観られるといいなと思います。