俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

アーサー・ブライズ『メタモルフォシス』

昨日の話の続き。

最初に入った大学では、結局、うまくいかなかったんですね。経済学専攻というのも、いかにも自分に合ってませんでした。だから、のちに思いきって進路を変更したときには、もう最初に入った大学のことについて悩むのはやめよう、すべて忘れよう、と決めました。で、人文系の大学に入りなおしたんですが、これは正解でした。すごく楽なんですよ。外国語を勉強して本を一冊通読してみる、とか、会話の授業でしゃべりまくる、とか、思索を重ねて長大なレポートを提出する、とか、自分のしたいことをしていると人がほめてくれるんですね。長めのレポート書くのなんか大好きでした。こんなことが評価の対象になるのか!新鮮でした。授業も楽しかったし。

ただ、年をとるにつれて、最初に入った大学で学んだことも、いろんな形で自分の中に確かに活きてるな、と感ずるようになりました。西洋経済史の授業で、先生がウォーラーステインの『近代世界システム』について興奮冷めやらぬ口調でしゃべっていたことなども、今になって思い出されます。オースティンの言語哲学について初めて耳にしたのは、なんと会計監査論の授業でした。そのときのおかっぱ頭の若い先生の、やはり興奮冷めやらぬという様子もありありと思い出されます。「『明日雨が降るほうに1000円賭けるよ』というのが発語内行為なんだ。事実を確認しているのではなくて、そう言うことによって資源配分を行っているんだよね。財務諸表の開示というのも、まさに発語内行為なんだよ」…!経済系の学問とは完全に縁のなくなった今でも、たとえば理系の先生が会計学の大学院のことを「簿記学校」などと揶揄したりするのを聞くと、ちょっと不愉快になります。わかっちゃいないなあ。僕らは「君たちは事務員になるために会計学を勉強するのではない。経済の仕組みを理解するために勉強するのだ」と言われたもんですが。

経済学の話はやめましょう。僕も適性がなくておん出てきたんですから。それにしても思い出すのは、学生街の小さなジャズ喫茶。そこではじめて「リクエスト」というものをしてみました。LPのタイトルも憶えてます。アーサー・ブライズ『メタモルフォシス』。ただ、「A面ですか、B面ですか」と訊かれたのにはびっくりしました。そこまで考えてなかった…「じゃあB面お願いします」と言ったら、B面の、サックスとベースのアルコだけの沈鬱な演奏が延々流れて、気まずい思いをしました。もうずいぶん昔の話ですが、昨日のことのように憶えています。大学とは縁が切れてしまいましたが、あの学生街にはたまに訪ねていきたくなります。