アナロジーについて考える寒い四月某日~MacBookも一度使ってみたい
このように読者のみなさんには、ヘーゲルの思想やモノの見方を具体的な例に落とし込んでいく技法を身に付けていってほしいのです。安保関連法やプーチンのような大きな題材だけでなく、洗面器のお湯に温度計を入れるとか世論調査のやり方といった身近な例で構いません。
この作業に必要なのは、入学試験や資格試験のために身に付けてきた、公式や理論を憶えて練習問題を解いていくという技法ではなく、物事を類比的に理解していくアナロジーの技法です。アナロジーとは、物事にある何らかの鋳型やひな形がどう変形しているかを推論することで、ヘーゲルが言っていることの関係性や構造がまったく関係ない問題にもどういうふうに表れているかという読み解きをしていくのです。神学では、アナロジーを多用します。物事の森羅万象から神の意志を読み解くというように「アナロジー」を使えば「関係の類比」になります。
思考の鋳型を身に付けるには哲学の知識が必要ですが、アナロジカルな見方をするためには文学的な素養が必要になります。すぐれた小説を読んだり映画を観たりすることは、他の人の体験を類比的にとらえていくために必要なことです。
(157~158ページ)
おっとなったので、拾っておこう。
ぼく個人の体験にすぎないのかもしれないが、「それはアナロジーだ」というのは、本質を衝いてないからお前のその論法はNG,という意味でつかわれることが多い気がする。つまり、形が似てるからというだけで違うものを同列に並べるのは、ただの牽強付会ですよ、という。そういう理由で論文なりレポートなりにケチがつくということはよくあるように思う。そういう経験ないですか。
けっきょく、裏付けとなる調査とか、客観性とか、説得力とか、そういうものを合わせての評価だろうから、アナロジーがもとになっているから絶対にダメというわけでもないのかもしれない。自分のばあい、もともと歌謡曲における「パクリ」の問題をめぐって道楽としての音楽に深く深くのめり込んだことが、そののち多少心を入れ替えて学問の道に入ろうとした時にもまがった方向に出ちゃって。
いや、それでうまくいっているかのように思っていたときもあった。ほんの何本かは「あれはよかった」といってもらえた論文が、ずっと過去にはあって、それはでもやはり、自分で言うのも変だが、アナロジーに人一倍敏感だったからじゃないのか、と今でも思うのだ。
中学生の頃、音楽の時間に「早春譜」を歌わされた人も多いと思うけれど、ぼくのころ、となりのクラスのやつらは、「これ『知床旅情』でないのか」と言って、みんな不満そうに歌っていた、ということがあった。なんだか懐かしい。
ハロルド・ブルームか誰かが言っていた通り、そういうもののリサーチはやがてコンピューターがやるようになり、黙示録的に終わってっしまうだろう気もするけれど、脳のよろこびとしてのアナロジーって、やっぱりあるように思う。
パソコン、やはり先立つものしだいということで、当分新調はできないかなあ、と思いつつ、動画など見てしまう。CPUがCoreiじゃないシリーズって、どれくらいの実力なんだろうか。
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ドラマチック・ブルース~是清さんも熊楠たちを教えた語学教師だったらしいことなど
ロンドンの空気も、けっして日本にとってよいものではなかった。日英同盟はあったが、これは戦争の相手が二ヵ国になったとき共同参戦するというもので、相手が一国の場合は援助する必要がなく、イギリスは中立国の立場にあった。また王室の関係からいっても日本に金を貸すことの危険は大だった。高橋はまず金融界の巨頭たちと親密になることによって、このような空気をときほぐそうと持ちまえの精力的な努力を続けた。それであるから、三十七年五月イギリスの銀行家たちによって予定の一千万ポンドの半分五百万ポンドを六分利付、関税収入抵当という植民地的な条件で、ともかく成功させるまでの高橋は大変な努力をした。当時、国際金融を牛耳っていたロスチャイルド家やカッセル家とも交渉を続けながら、実際の起債の仕事は正金、香港上海、バースの三行にやらせるという堅実な方針ですすみ、対日感情を有利に展開させるように心をくだいた。
苦労して仕送りをして大学に送り出したわが子が、友達もできず、学校にもなじめず、思った勉強もできず、自暴自棄で不真面目な悪い子になって帰ってくる。大げさに言えば、ぼくが最初大学に行って帰省してきたとき、親の目にはそう映っただろうと思う。
だからというわけでもないが、姪たちが親元を離れて学生をしていると、そのことがいつも気になる。
かといって、大学に直接乗りこんでいって、うちの子にはこういう勉強をさせてください、と注文をつけるようなことをすると、いわゆるモンスター何とかだ。英語ではparachute parentsとか呼ばれているのを読んだ記憶がある。学生寮の舎監に相談の電話が来るくらいなら昔からあったが、アメリカでも些細なことで学生部長に直談判を申し込む親がいるとか、あれは何で読んだんだろう。で、ぼくは親じゃないし。
むかし子供らが小さな頃うちに来て読んでいた絵本やマンガ本は、今でもそのままにしてある。片付けてもいいが、そうするとさびしくなるので。
で、そこに新書本のたぐいを並べてある。興味があれば(興味がなくても)、持って行ってパラパラ眺めてくれればいい、そんな本。今年の正月、上の子が帰省して、うちにも顔を出し、何冊か置いてある本を持って行った。
「読んだか? どうだった?」ということはしないようにしている。読まずとも、表紙を眺めるだけでも違うだろう。是清さんのことは講義で出てきたみたいなことを言っていたが、二〇歳くらいでは経済運営の機微が実感としてわかるはずがない。
内田春菊の漫画では、南方熊楠の東京時代の英語の恩師が是清さんだった。wise womanというと「賢い女」ではなく「まじない師」の意味になるんじゃないかのう、と米国仕込みの英語の使い手である是清さんに逆質問する、そんな場面があったっけ。
こういう話をうんと仕込んでおいて、千変万化、自由自在の脱線ができる、そんな先生を目指していたのは、つまり昔の自分に、そういう親身な教師がいてほしかったからだ。どうもこの話は、最後にはそこに行きつく。
四月は語学教師にとっては憂うつな月。語学やる気ないんでヨロシク、という若い人が何百人と攻めて来る。それを一年かけてこっちの味方につける、そこが腕の見せどころで、それだけは面白かった。それさえあれば、業績とか研究とか、もうどうでもよかったな。
あの頃、語学に関係なく、気まぐれにいろんなCDを講義室でかけたが、これはさすがにまずいか。
帯広の夜~文学やつれと語学やつれなど
世上、縁談窶(やつ)れといふ言葉がある。今まで何回も見合ひをして来たが、残念ながらその都度、もうちょっとのことで良縁がなかった。いつ結婚できるか気になることだ。さういつた女を、不憫に思つて言ひだした熟語だらう。女として必ずしも欠陥があるといふのではない。これに似たやうな世間的な取合はせで、大正期を経て昭和初期になると、文学青年窶れといふ新しい熟語が出来た。私が荻窪に引越して来る前後の頃に出来た言葉ではなかつたかと思ふ。
やつれるほどに何かをしたことなどないぼくだが、「語学やつれ」ぐらいいっぺん言われてみたいものだという気はする。
「文学やつれ」というとちょっとやはりぼくの場合は違う気がする。大学院で専攻したのは文学に違いないけれど、どうもぼくの興味はそれとも微妙にずれている。
これはいくら言っても通じないことが多いけれど、英語の力が半端のままというのが、自分にはどうにもすっきりしない負い目だった。勤めていたころ、退勤時間はそんなに遅い方ではなかったけれど、それでも帰宅して原書を読む余裕がないことがやりきれなかった。ロシア語の本もそうだったけど、いつも引っかかっていたのは、とっくに読めているはずの英語。そしてあのころ本棚を眺めたとき、読みたいと思う本の半分以上は英語の本だったと思う。
過ぎたことはもういいのだけれど、この時期はいつもゴールデンウィークが待ち遠しくて、いつも外国語の本を詰めたカバンを車に乗せてこの家に帰省していた。今年は五月の一,二日を休むと九連休だそうだけれど、あのころ勤めていたところも、連休のあいだの平日は振替休日の措置が取られていたはずで(今は知らない)、それだけの休みがあれば、原書の数冊は読めるような気がいつもしていた。
いつかの年は、たしかフォークナーの『響きと怒り』のペーパーバックがかばんに入っていたけれど、あれはどうしたんだろうか。その後まったく見つからない。
どうやら自分は自分の英語力について完全に錯覚していたのではないか、とは今になって思うことで、連休中、体を休める片手間に英語の本が何冊も読めたりはするはずがなかった。その後、平日もうちにいるような暮らしになって初めて、英字新聞を読み、ネットラジオを聴き、眠っていたペーパーバックを引っ張り出し…というレベルにようやく至った。
だいたい、北海道の端っこのほうに生まれて、最初から原書がスラスラ読めて、若くしてあっという間に文学や哲学の根本問題に至り着き、そこで深く苦悩する…という、ニーチェや漱石や鷗外のような「文学/哲学やつれ」の境地に至ることがありうるのかどうか、ぼくにはとうていわからない。東京に出て行った山口昌男や柳瀬尚紀はまた別かもしれないが、かれらとて、どっちかというと語学青年の感じがする。
ぼくの場合は、メールボックスにはいまだにTOEICの案内が届き、電子辞書をどれにするかで迷い、買いためた安物の原書を読めたり読めなかったりに一喜一憂し…という、そんなレベル。これは半面では刺激のない生活を送っている証拠でもあるけれど、いきなり高度なものを読もうとあせることは、今はあんまりない。むろん、金になるかならぬか別として「しごと」と思い定めたことはちゃんとあって、ときどき自分に無理を課すこともある。が、無理ばかりでも続かない。
いつもうちにいるのにおかしいのだけれど、ゴールデンウィークが近いと思うとなんとなくウキウキするから不思議なものだ。
春の嵐の日の夢に出てきた「ミスティ・トワイライト」
神近女史は下井草のこの番地に住んでゐなかった。 その頃は無論のこと、現在も住んでゐない。神近さんは強力な左翼の闘士だから、警察の目を逃れるため、出版社などに知らせる住所は適当に出まかせを言っておくのだらう。その証拠には、下井草一八一〇神近市子様宛の郵便物は配達夫が私のうちに届けて来るが、たいていそれは商品見本や宣伝用の新刊書の広告などに限られてゐた。神近さんの知り合ひらしい人からの郵便物は一つもない。知らない人たちは文藝春秋社の「文芸手帖」を根拠にしてゐたらしい。
電子辞書には英和辞典、英英辞典などのほか、百科事典も入っている。これを使わない手はない。なるほど。ということで、猛烈に引いている。
すると、ソ連史のことも、いろいろ発見がある。スターリンはソ連共産党書記長だったのは周知のとおりだけれど、フルシチョフになると書記長ではなく第一書記という呼称になる。これは、フルシチョフが集団指導体制を採用したから、となんとなく思いこんでいたが、どうもスターリン死去(1953年3月)に先立つ52年に「政治局」が「幹部会」に変更されるということがあり、それと同時に「書記長」は「第一書記」と呼称が変更になったらしい、とわかる。66年にブレジネフが政治局、書記長といった呼び名を復活させたという。
しかし、それ以上くわしいこととなると、電子辞書ではわからない。ぼくんちにあるような文献を見ていても限界がある。ちなみに以下の本では政治局→幹部会の変更のことは触れてあるが、書記長→第一書記という呼称の変更に何の意味があったのかまでは書いていない。
それにしても、百科事典はすばらしい。ここまでわかっただけでも大収穫だった。
そうそう、「神近市子」という名も、百科事典を引けばばっちりわかる。以下の本、投げ売りされているので注文してみる。
ぼくはとりたてて左翼思想の持主じゃないが、ソ連を舞台にしている本を読んでいると、知りませんでしたではいろいろ支障がある。ずっと昔、ソ連政治の授業なども取る機会はあったけれど、そっちは来年、まずは語学を、と思っているうちにその先生は転出されてしまった。大学院に入ってからもいくらでも機会はあったように思うけれど、上のような疑問を気軽にぶつける相手がいないという点で、ぼくは友だちが少ない≒世渡りがうまくないんだろうな。
というわけで、どろなわ式の勉強が続く。
今朝はいったん夜明け前に起きてCNNを見て、それから仮眠。夢を見た。もう営業をやめた小さな商店の二階が貸し間になっていて、そこに住んでいる夢。そして、なにやらやたら色っぽい気分で麻倉未稀「ミスティ・トワイライト」を聴いている。しかし、その歌詞が「わたしの作った巻きずし、あなたに食べさせたかったわあ~、アハン」とか、やたら所帯じみていて、何だこれ、と思ったら自室でぐーぐー寝ていたのだった。
どのマックを買うべきか~パソコンはへき地でこそライフライン
北海道の風景というのは、よくいえば雄大だが、曇りや雨降りのときには、”どんよりした風景が雄大”だから救いようがない。都会のように天候とは関係なくネオンがきらめいているような場所なら救いがあるが、どこを見ても陰鬱でモノトーンな風景が果てしなく続いていると、そこに身を置いているこっちの気分まで欝々としてくる。予定どおり国道を北へ向かって走る。どこまで行っても灰色の空の下から逃げ出せずイライラしてくる。[…]
北海道移住日記ったって、もともと道産子なんだよな著者は。それでも移住の語があながち大げさじゃないのは、北海道は広いので、北海道でも他の地方出身の人間には、道北のあの茫漠とした空気感はとてつもなく異質に感じられるから。描かれるのはその道北の下川町の暮らしだ。そこからさらに北への自動車旅行。
北海道の四月は、まだ冬だと思った方がいい。昨日はなんと20度に達したから決して冬の気温とは言えないが、明日はまた4度か5度くらいの、雨と風の日だ。雪もまじるかもしれない。
へき地暮ら̪しで困ることは多い。前にもちらと書いたが、東京や札幌の(かつての)同業者たちに伍して読書/勉強をしているつもりでも、いつのまにか自分だけとてつもなく小さな世界にいると気づくことがある。たまに札幌へ出ていくと、そのことを痛感する。他人の研究室を訪ねて、テーブルになにげなく置かれている本にショックを受けるということもある。例えば以下の本なんか、みんな読んでるらしいが、ぜんぜん知らずにいた。
Russian Pulp: The Detektiv and the Russian Way of Crime
- 作者: Anthony Olcott
- 出版社/メーカー: Rowman & Littlefield Pub Inc
- 発売日: 2001/11/15
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あわてて自分も注文して買ったが、ぜんぜん読んでない。
ロシアの推理小説のたぐいの研究。この分野だと日本でも数名の研究者がいるけれど、 本がなければ研究できない分野だし、さらに言えば、本があるというだけでも研究が成り立たない。このテーマで日本語で書かれた論文を読んでびっくりしていたのがもう何年前のことだろう。
あと、以下の本はずっと以前骨折で入院しているとき読んだが、きれいに忘れている。読み直したいけれど、もう古いのかもしれない。わからない。
あと、これは原書を買ったけれど、読まないうち、いつのまにか邦訳が出ていた。
- 作者: ルイーズマクレイノルズ,Louise McReynolds,高橋一彦,田中良英,巽由樹子,青島陽子
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 2014/10/21
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以下の本も、読まないまんま、すでに二十一世紀も15年以上経つんだから恐ろしい。著者は札幌に一年いたことがあった。
The Genesis of the Brothers Karamazov (Series in Russian Literature and Theory)
- 作者: Robert Belknap
- 出版社/メーカー: Northwestern Univ Pr
- 発売日: 1990/10
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これはコピーして製本したのか? 今ならスキャンして電子的に処理して、タブレットで読むだろうけれど。
Dreams and the Unconscious in Nineteenth-Century Russian Fiction
- 作者: Michael R. Katz
- 出版社/メーカー: Univ Pr of New England
- 発売日: 1984/01
- メディア: ハードカバー
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院生時代、こうして図書館は惑溺の場だったけれど、いくらも読まないまま地方へ行くことになって、ぼくにとっての研究らしい研究は、それきりになったのだった。
また今年も札幌で本を見せてもらえることになっているけれど、その前に、おととしからこの冬にかけての研究滞在の成果を、まがりなりにも申告しなければならない。かろうじて一点、記入できる成果がある。ほんとは数本の論文になっていないとおかしいのだけれど、大学にも所属していないし、そこがうまくいっていない。気軽に投稿できる研究会誌のようなものにも縁がない。あせっても仕方ないので、いろいろ可能性をさぐろう。
パソコンは今のところ使えているからいいのだけれど、マックに乗り換えたい気持ちも強い。このエントリーはSurface Pro 3で書いていて、これにも不満はまったくないけれど、これとは別にやはりデスクトップがないと、音楽や写真の管理ができないし、安心できない。今使っているのはNECのデスクトップで、かなり高価だったけれど、そのぶん長く使えるだろう、と思っていた。現に5年使ったけれど、HDDの寿命の話など読むと、そううかうかしていられない。SSD換装のための数万円にあと少し上乗せして、マックという手はあるように思う。へき地でパソコンがなければ、もうそれは本当の孤立だ。
以下のムックが届く。とりあえず情報収集。
マックとウィンドウズ 2017 ~いちばん簡単な「WinからMac」乗り換えマニュアル~ (Mac Fan Special)
- 作者: 中村朝美,Mac Fan編集部
- 出版社/メーカー: マイナビ出版
- 発売日: 2017/04/15
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せっかく電子辞書に入っているのだから百科事典も引こう
私はセイコーインスツルの電子辞書を使っています。オックスフォード新英英辞典、ロングマンの辞典のほか、『日本国語大辞典』、『角川類語新辞典』など、日本の主要な辞典が入っているんですが、平凡社の『世界百科大辞典』が入っているから購入を決めました。[…]
図書館で三冊返却、二冊を延長してもらい、さらに新たに三冊借りた。そのうちの一冊。例によって、外国語が頭に入んないときはこんなのを読んで一日が終わったりする。
百科事典の読み方を指南している部分は、実は期待していなかったが非常に面白い。なぜウィキペディア(だけ)ではダメか、といったことも。「ロボット」という語の定義のうつりかわりを時代を追って見たあと、著者はこう言うのだ。
でも、この80年で何が変容したのかというのは、もしかしたら80年後の人類にはわからないかもしれません。Wikipediaのように毎日改訂されているものは、80年後にも改訂され続けています。ロボットをめぐる80年間のギャップを我々が知ることができたのは、紙の百科事典があるからです。
ロシアやドイツで紙の百科事典を出す事業が国家的に続いているのは、「ある時代における自国の知識の総合体系がどうなっているのかを残すのが国家としての責務」だと考えられているからというところ、はじめて知る話ではあった。
一番上の引用でああねえ…と思うのは、セイコーインスツルの名が挙げられているからで、さすが元外交官、でもたしか同社は電子辞書の事業からは撤退したのではないか。プロ向けの電子辞書として以前から耳にしていたし、昨年暮れ、10年以上使ったカシオのEx-Wordが破損し始めた時、真っ先に調べたのはセイコーインスツルのことだった。一度、ほんとの語学プロ仕様の電子辞書を使ってみたいものだと思った。が、どうも同社は電子辞書から手を引き、今では店頭在庫分か、中古品しか手に入らないらしい、と知って、けっきょくまたカシオに落ち着いたのだったっけ。
今見ると、新調したカシオの電子辞書にも小学館のニッポニカという百科事典が入っている。これは引いたことがなかったけれど、グーグルで検索する前にまずこちら、が正しいのかもしれない。さっき必要があって「神近市子」をグーグルで検索したが、その前にこっちを引けば、ちゃんと載っている。
デスクトップ機のSSD換装、いろいろ思案中。
How to Upgrade Your Laptop with an SSD Drive
いとこ同士~フランス人学者の「ブリコラージュ」のまねはしてはいけないのか否かを巡って
ある日、後に母から相続することになるアパルトマンのソファーに寝転がっていたところ、「外婚制共同体家族の分布図」と「共産圏の地図」とが突如、重なったのです! まさに啓示でした! 私は何らかの目論見からこの二つを重ねようとしたのではありません。とにかく「二つが一致する」ことを突如、発見したのです。「科学的発見」とは、こういう性質のものです。[…] (91頁)
私は、雑多なものを組み合わせて仕事をするブリコラージュ屋です。生涯にわたるブリコラージュの学生ですが、私が歴史を見る際に用いるのは、限られた変数だけで、いずれも学生の頃に学んだ変数です。(105頁)
私は、深遠な精神の持ち主ではなく、あくまで、雑多なものを組み合わせて仕事をするブリコラージュ屋です。深遠な精神の場合には、脳髄液を分泌するように、みずから概念を分泌し、自分が用いる概念を深く掘り下げて考えるのでしょう。私はそのタイプではありません(笑)。(122頁)
私にとって、研究とは、ある概念を時間をかけて掘り下げることではありません。たくさんのデータを集め、たくさんの本を読むことです。すると、あるとき突然、啓示のように、二つの事実が重なり合うのです!(125頁)
問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書)
- 作者: エマニュエル・トッド,堀茂樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/09/21
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歴史家、人類学者、人口学者、家族人類学者、歴史人口学者…何と紹介されてもよいが「哲学者」ではない、という著者。この本はもちろん英国のEU離脱を受けてのヨーロッパ政治論なので、そうした内容が興味深いのはもちろんだが、上に挙げたような研究者としての自己イメージがぼくなんかにはすごく面白かったりする。
こんな高名な学者と自分を同列に置くわけにもいかないけれど、ぼくも一つのことを専一につきつめるという勉強はどちらかというと苦手で、たくさん本をあさる過程で、この本のこの部分のあの本のあの部分が重なって見える、という経験を字にする以外、研究というもののやり方を他に知らないのだ。
東京の一流大学なんかだと、そういうやり方を厳に戒める論文指導がなされていたのかもしれない。でも、ずっと田舎の大学しか知らないから、そういう指導も受けたことがない。受けていれば違ったかもしれないし、あるいはそういう指導を受けた時点で、知的につぶれていた可能性も高い。思いつきを語ることが許されないなら、例によって、黙ってるしかないのだから。
そういう手法をとっても、本質を衝く議論になり得ていれば、お叱りを受けたりはしないんだろうな、と想像はつく。もとになる読書のレベルが群を抜いて高ければ、きっと説得力も増すのだろう。それは、上に引いたトッド先生の自己省察からわかる。レベルと内実がともなっていれば、それは「思いつき」ではなく真の「啓示」たりうるだろう。ただ、それはそうした発見をとにもかくにも口にしてみて、事後的に「思いつき」にすぎなかったのか、「啓示」だったのかわかるという面もあるのではないか。
他の人は知らないが、少なくともぼくは80年代に日本でも少し流行った「ブリコラージュ」(あり合わせ仕事?)という語に否定的な意味が宿っているように思ったことはない。ちゃんとしたところでは、「あれは一部のえらいフランス人のやることで、きみたちがまねしてはいけません」と教えられていたのだろうか。
で、こういう議論と、先日引用したエリアーデの辺境文化論を重ねれば、ぼくなりの北海道へき地の知識社会学みたいなものになるように思うけれど、まあ、思うだけにしておこう。
気温が上がり、気持ちよかった。半年、ベストを着て過ごしたけれど、今日はシャツの上にジャケットを羽織っただけで外に。ちょっとまだスース―するけど、ここも春だ。