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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ラッダイトとハッキントッシュ

 Last, and perhaps the most important, the Luddites were understood to represent not merely a threat to order, as riotous mobs or revolutionary plotters of the past, but in some way not always articulated, to industrial progress itself. They were rebels of a unique kind, rebels against the future that was being assingned to them by the new political economy then taking hold in Britain, in which it was argued that those controlled capital were able to do almost anything they wished, encouraged and protected by  government and king, without much in the way of laws or ethics or customs to restrain them. The real challenge of the Luddites was not so much the physical one, against the machines and manufacturers, but a moral one, calling into question on grounds of justice and fairness the underlying assumptions of this political economy and the legitimacy of the principles of unrestrained profit and competition and innovation at its heart. Which is why the architects and beneficiaries of the new industrialism knew that it was imperative to subdue that challange, to try to deny and expunge its premises of ancient rights and traditional mores, if the labor force were to be made sufficiently malleable, and the new terms of employment sufficiently fixed, to allow what we now call the Industrial Revolution to triumph unimpeded.

 

Rebels Against The Future: The Luddites And Their War On The Industrial Revolution: Lessons For The Computer Age

Rebels Against The Future: The Luddites And Their War On The Industrial Revolution: Lessons For The Computer Age

 

  高校生のとき、世界史か日本史どっちかをマスターしておくとよいのは何度か書いているけれど、ぼくの場合は、あれほどやりたかった世界史はものにならず、それでも政治経済がものすごく面白くて、そこで産業革命の歴史や、それに対抗して起こったラッダイト運動(機械打ちこわし運動)について知って、すごく興味があったのだった。

 この本は、7,8年前に、当時すでに金欠だったけれど買った。で、書棚に納めて、落ち着いたらぜひ読もう、と思っていた。今、生活がそれほど落ち着いてきたという実感があるわけではないけれど、昨日引用したD.クリスタルの英語史の入門書やルイス・キャロルの伝記とこの本が並んでいるのを見て、何とも興趣をそそられ、手に取っている。

 現代では、ネット通販があるから、お金さえあれば洋書を買うのは簡単だ。問題は読む力があるかどうかで、この本は難しい英語ではないが、ふつうの経済学部の学生が卒論に使おうと思ったら、やはり楽ではないと思う。

 こうして、けっきょく、経済史なりまたは経済学史なりに足を踏み入れるとき、大事なのは語学力ということになる。最初の大学の名物教授が言っていたけれど、経済史の専門家も大半はイギリス経済史を専門としている。そうでなければドイツ。それ以外を専門にする人はすごく少ない、と。これは正確にそうだったのかかどうか、実際には知らないし、今はまた違うかもしれない。でも、語学力の制約で研究対象が決まってくるというのは、実際その通りとしか言いようがない。

 ただ、そう書くと、イギリス史なんかやるのは意気地がないことのように響くのは困る。それはぼくの本意じゃない。歴史をやろうとするとき必要になる語学力は、半端なものではなかろう。また、日本にいて西洋の経済史をやるというのは、その動機や必然性の点でつねに厳しい問いに自分をさらすことになるだろう。日本人がそんなことをやる理由があるのか、と。

 この本はもう20年まえの本だけれど、コンピューター技術の凄まじい発展がすでに展開されつつあったころで、その観点でラッダイト運動を問い直す姿勢が興味深い。このアプローチなら、世界をおおう普遍的な問題としてラッダイトの反テクノロジー・反イノベーションを問うことができる。オートメーションで正業を失い、地域社会が崩壊するというのは、日本人にだって、けっして無縁ではない問題のはずだ。

 これと、発売から時間の経ったマッキントッシュをいろいろ改造したりしながら使っているマニアの姿が妙にかぶるのだが、どんなものか。そういうマック改造機を「ハッキントッシュ」というのか(注記 マックのOSをWindowsマシンにインストールしたものをそう呼ぶらしい)。こっち方面は、ぜんぜんうとくなってしまった。


My Hackintosh at 1 year. Has it been worth it?