俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

音象徴と共感覚に関係があることを知って驚いていたことなど

It is a basic principle of language study that sounds don't have a meaning. It doesn't make sense to ask 'What does p mean?' or 'What does e mean?'. On the other hand, we often encounter words where there does seem to be some kind of relationship between the sounds and what is going on in the real world. We link a particular kind of sound with a particular kind of meaning. When this happens, we talk about 'sound symbolism'. When it happens in poetry, it goes under the heading of 'onomatopoiea'.

 

The English Language: A Guided Tour of the Language

The English Language: A Guided Tour of the Language

 

   今日は用事があって、リュックに入れて持って出たけれど、これを読んでつぶすほどの時間もなかったので、帰宅してパラパラ読んでいる。

 「サービス価格 500円」の黄色い値札。いつだか、某大学生協で買ったもの。もう10年くらいまえに、日曜日の喫茶店で読みふけっていたことがある。どんどん読めて、楽しかった。このひとの本は本当に読みやすい。

 サウンド・シンボリズム(音象徴)というのは、二度目に学生になったときに、これを熱心に研究する先生がいて、さんざん講義で聞かされたので、すごく懐かしい。ことばを構成する音そのものは物理的な空気振動に過ぎず、意味は持たないはずなのに、音そのものに意味があると思えるような、そんなことが実際にある。

 そのころ講義でその教授が言っていたのは、日本語をぜんぜん解さない外国人を相手にテストしても、「丸い」「四角い」は、どっちがround でどっちがsquareを意味するか、かなりの確率で彼らは当ててしまう、といったことだった。音そのものに、丸い感じのmやrと四角い感じのsやkといった明らかな差があるため、とそのことはその時わかった。

 何年か前、NHKテレビの爆笑問題の番組で、「共感覚」が取り上げられたことがあった。「共感覚」とは、音に色がついて聞こえたり、文字の中で母音だけが別の色に見えたり、という、視覚と聴覚といった別々の感覚が交錯する複合的な感覚のことだ。そのとき、そうした感覚の持ち主らしい女性が爆笑問題の二人に言っていたのが、「背の低い丸顔の田中さん、背の高いやせた太田さん、それが、耳で音を聞いた感じだと、こっちが太田さんで、こっちが田中さんのように思えてしまう」といったこと。ここにサウンド・シンボリズムの問題が顔をのぞかせていることに軽い驚きを覚えたのだった。

 こういう問題は今でも興味があるし、面白いと思う。ただ、こうした問題意識を文学研究に生かそうとすると、あんまり簡単じゃない。理解を得るのも難しいし、そういうやり方が奨励されてもいない。ノートを書いてパソコンのなかにしまっておくだけ、ということがほとんど。でも、それがいつか活きるときが来るだろう。

 Judy and Maryなんてバンド、ぼくはもうそんなものを熱心に聴く年齢じゃなかったけれど、割と好きで、CDシングルを持っていた。90年代の仄明るい感じを思い出すとき、このバンドのことを思い出す。仕事のない時に、アパートで、一時期、よく聴いていた記憶がある。


JUDY AND MARY『クラシック』