俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

nai nai 16~英文学専攻の黄昏

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  なんか、来るなあ…という感慨を覚えるのは、こちらの予備知識が古いせい。

 予備知識が古い、というのは、英文学の先生がたが書いた文学理論やなんかを読むことはあり、そのついでにアメリカの大学事情を読みかじることも多いのだけれど、アメリカではI studied English.といえば「英会話を習った」ではなく「英文学を専攻した」の意で(これはその通りだろうな)、しかもそれはなんとなく社会的にも高く評価されて(たんにtheoryと言えば「文学理論」を指すほどに)、就職も盤石、であるように思い込んでいたからで、上の記事のように、英文学専攻者は全体の3パーセントほどに過ぎず、マーケットの信任厚い実学に押されて、大学に職を得るのも困難、ものを書く仕事もほとんど金にならず、司書をしながらワーキングプア、という、まるでどこかの国のようなお話が書いてあると、ああ、どこか他の銀河系で文学教師の需要の高いところはないのか、とため息が出る。

Against the advice of their parents, the social pressure of their peers, and the severely utilitarian direction of American society, they obdurately go on piling up their useless, unremunerative literary courses. See the trouble you get into when you listen to your soul?

 親の制止も振り切って、肩身の狭さも意に介さず、アメリカ社会の厳格なまでの功利的傾向にも逆らい、そいつらは頑として、役に立たない、金にもならない文学の単位をコツコツ積み上げていく。自分の心の声に従ったあげくに、どんな苦労を背負い込むことになるか…アメリカでもそうなのぉ!

 秀才には就職難はない、と夢のようなことを書いておられた大先生もいるが、そこのところは日本一の大学ならそうなのかなとも思うし、いや日本一の大学だとて今日び決してそうではないだろうという気もするし、むかしはそうだったのかもと思うし、今でもそれに類した話は確かに聞くことはあるし、ケースバイケースとしか言いようがない。

 そしてここに、実家の財力の問題が微妙に絡んでくる。ぼくが二つ目に行った大学のぼくの知らない卒業生が、そこの修士課程をかなりがんばって修了したのだが、先がない。他大学の博士に進む手もあるが、そうなるとまずはカネだ。その学生は卒業祝賀会で、随分納得いかなそうにしていたと聞いた。

 学生として取りうる防衛策は、教員免許、司書の資格などを取っておくことだ。運転免許も必須だろう。英語や翻訳の資格もあった方がいい…。

 書いていて、何とも夢のないことだなあ、と、われながら情けないが、英文学を専攻した人が、就職用に英語教育や英語音声学を表看板にするという話は、現実にあることだ。英文学に限らず、第二外国語の教師になるのだったらなおさら、通訳要員などとして使われることはあらかじめ想定しておいた方がいいように思える。むしろそちらを売りにしろとまでは言わないが、あまりに無防備だと、現実とのギャップに対応できない。

 「海抜~メートル」だとか「~光年」だとか、「体外受精」だとか「減価償却」だとかは、文学部でいくら外国語を勉強しても、まず出会わない。文学を専攻しつつも、こっち方面を多少でもやっておくといい。というか、自分が、今になってその辺をやっているのだけれど。


シブがき隊 NAI・NAI 16