ワルツ 第7番 嬰ハ短調
ショパン/3つのワルツ 第7番 嬰ハ短調,Op.64/演奏:中川京子
萩原朔太郎や吉田一穂の詩集を街の古本屋で見つけては読み漁っていたのは、高校二年級のことだったと思う。それ以前の私は物理学者か数学者になるつもりで、そのためには高等数学の問題を一日百題解かなければ、とおっしゃる物理の先生の教えを半分位は辛うじて実行していたのだから、これはずいぶん突飛な、思い切った転向である。
数学から文学に切り換えたのは、第一に、どうしても問題を日に五十題しか解けなかったので、われとわが能力に見切りをつけたためであり[…]
ぼくの通った高校でも、数学のいい先生がいたのだが、ぼくは高校入試が終わった後、急激に無気力におちいり、そういう先生たちから有益なものを吸収する意欲を失ってしまった。くっついて努力していれば、こういう「一日百題解け」といったお話も聞けたかもしれない。
語学のほうでは、英語の先生が、リーダーはひとりでさいごまで読んじゃえよ、と一度言ってくださったのをおぼえている。でも読んだだろうか。
教わる、習う、というのもコミュニケーションの一形態で、こいつに何言ってもムダ、となったら、いい助言など聞けはしない。その意味で、青春に悔いがある。
焦りだしたころには、もう何もかも手遅れのような気がした。けっしてそうではなかったのだけれど。
成人してからは、いつもその場その場で必死で、何か助言を受けても、とてもそこまでいかない、ということの連続だ。