いとこ同士
新しい職場では未体験の業務内容を含んでいるものである。確かに、「最初は不慣れで当たり前であり、仕事に取り組んでいれば、そのうち少しずつできるようになっていく」ことは正論だが、それは自分の適応能力(学習能力)に肯定的な気持ちを抱けるだけの経験や自信が備わっている場合にのみ受け入れられる言葉である。
「自分自身が未知の世界でもやっていける」「これまでの経験でも乗り越えてきた」と思えなければ、「自分に合う仕事(自分でもできる仕事)」を探すしかないが、新しい環境への適応にも自信が持てなければ、「漠然とした不安」を抱えざるを得ない。
先日、老母の用事に付き合って、3時間ほど外で時間をつぶした日に、パラパラ読んでいた。これは社会問題としても重要であるが、ひとりひとりの生育・成長の問題にも大きくかかわることだ。
むかし教育心理学というのを受講したとき、期待以上に面白かった。先生が、「肯定的な自己概念」といったことをくわしく説明してくれる人で、その後たいへん役立った。
上に引いた部分も、その意味で当方の関心に引っかかる。「どうせ無理」「失敗するんじゃないか」とおどおどする若者(若い人に限らないが)が、新しい環境に溶け込めず、もともと居る人たちから「こんなことくらいなぜできんのか」といぶかられ、結局居づらくなる、ということはたまに見聞きする。
未知の職場などへ参加すれば、わからないことだらけなのは当たり前のことだが、否定的な自己概念を持っていると、そのことがすべて自分のせいになってしまい、「わからないので教えてください」と自然に・明るくソフトに言うことすらできない。
この本は社会的な問題提起の本だが、むしろ家庭なり、学校なりでの、個々の親や教師の(あるいは職場での上司の)、しつけのうまい下手の問題でもあるように感じながら読んだ。しつけられる当人のキャラクターも大きくかかわるので、問題は単純ではないのだけれど。