俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

これが鉄砲節だ~「不意にやってきた」研究業績は本当に偶然やってきたのか

 かくてはならじと焦っていると、横浜国大の経済学部の助教授にならないかといわれ、環境が変われば新境地が開かれるかもしれないと切なく期待して、その申し出を受けた。そういう申し出が来たところをみると、お前は研究業績を挙げるべく努力していたのであろう、といわれるかもしれない。しかし違うのだ。私の「業績」らしきものは不意にやってきたのである。ある数理経済学の模型がなかなかうまく完成しない、ということがその方面の研究者のあいだで少々話題になっていた。大した模型ではないのだが、ともかくその問題をめぐる「パズル解き」が難航していたのである。そして私にもそのことが気がかりであった。何度かそのパズル解きに挑戦して失敗してもいた。ある日の昼下がり、私は西武線高田馬場駅のベンチに座っていた。前夜、朝まで素人博打をやり、どこぞの安宿に泊って、帰宅しようとしていたのである。翌日は、数理経済学の世界的権威といわれていたある教授のセミナーが開かれる。彼はかならず、俺が何をやっているか、尋ねてくるだろう。まさか博打と酒ですともいえないしなあなどと思いながら、例のパズル解きをやり出した。電車を何回かやり過ごしながら、紙と鉛筆であれこれやっていると、ぐしゃぐしゃになっていた私の頭が、突然に、そのパズル解きをやってしまったのである。

 

寓喩としての人生

寓喩としての人生

 

  こういうことって、たまに見聞きするんだよなあ…と思いつつ、ポストイットを貼っておいたので、引いとこう。

 山口昌男にしても西部邁にしても、北海道人とはいえ、東京へ出て日本一の大学に行った人たちだから、北海道に帰ってきてほそぼそと学問を続けるぼくの参考になるわけではぜんぜんない。それでも、この二人が自伝的なことを書いた本は読まずにいられなくて、この本も繰り返し読んだ。参考になることばかりではなく、そりゃ違うだろう、というところもなくはないけれど、たまに読み返したくなる。たぶん北海道人以外には面白くもなんともないところもあるだろうな、などとも思う。

 この、学問的業績の話は、ぼく自身がそういう「ひらめき」の効用をいい歳になるまで信じていたこともあって、それで印象に残っているというのはあると思う。数学者などの話として聞くことがあるけれど、ぼくも、わずかな業績の一つを思いついたときの情景をありありと思い出せる(がそのことは書かずにおこう)。

 ただ、これは本人が誇張なくありのままを書いているのかどうかは、ぼくらにはわからない。たとえこのとおりだとしても、何度か挑戦して、その時はうまくいかなかったという点を見逃してはまずい。人間の脳は絶えず気になる課題については仕事をしているもので、このとき高田馬場駅のベンチに座って紙と鉛筆であれこれやる前に、脳のどこかでは解答が半分でかかっていたのかもしれない。その意味で、労せずして成果を挙げたという意味にとっては間違いになる。

 連休に作った子供向けの電子工作のラジオ、いまもよく鳴っている。鉄砲光三郎なんかかかることはほとんどないけれど、近田春夫氏がNHK第一の番組で、たまに浪曲やそんなのをかけていたのを思い出す。

 短パンを出す。北海道の短い夏の始まり。


これが鉄砲節だ(河内音頭) 鉄砲光三郎