俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

語学徒の冬学期、一か月延長~いっぺんいじってみたかったThinkPadのことなど

 何事によらず日本では矮小な意味での教科書が多すぎる。教科書というのは細かいデータとか事実とか、しっかりと覚えるべき理論、学説、話の筋立てとかで成り立っている。明治の余韻を伝える米川正夫文学史は別として、それ以後に日本で書かれたロシア文学史の多くは、べリンスキイやスターリンや批判的リアリズム・社会主義リアリズム理論という権威に支えられた「教科書」であった。どれを読んでも似たりよったりである。元は同じなのだから当然であるが、ロシア文学の学徒は、みな同じだからそれで安心し[…]

 

ロシア文学史 (講談社学術文庫)

ロシア文学史 (講談社学術文庫)

 

  これは川端香男里教授が書いている「解説」から。ちょっと唐突に日本の知的風土の批判が述べられているのでおおっ! となる。でも、みんなと同じことを一応通過しておかないと、みんなと違うこともうまくはできないということもあるような気がするので、そう簡単じゃない。

 大泉黒石は日本とロシアの混血の作家・ロシア文学者。大泉滉というコメディアンの父親だったと思う。とか書いているが、ぼくはこの人の『ロシア文学史』は、買ったまま読まずに来た。たしかガレージの奥を探せば段ボール箱の中にあるはずだけれど、去年の三月、札幌に出た時に、書肆吉成で買いなおしたんだっけ。490円。読もうと思って枕元に置いたきり、もう一年が経つ。二つ目の大学のころ、後輩の女子がこれを読んでいたのが懐かしい。

 で、語学徒の冬学期はどうしたのかというと、本来なら今日で打ち上げのはず。用事が立て込んで、中断したままになってしまったので、一か月延長だ。ロシア語の単語帳のおさらい、溜まってしまった英語週刊誌の整理が中心になると思う。ずっと言ってるWord Power Made Easyも、やってもいいが、やっぱりその暇はないかもな。

 パソコンはいつも書いている通り、今のところは動いているからいいのだけれど、壊れてからバタバタするのは前回で懲りたので、今から次のことを考えておくつもり。しごと/勉強に必要不可欠なのは言うまでもないけれど、おもちゃの側面もあることは確かだ。

 今、Surface Pro 3を使ってこれを書いているけれど、さかのぼればぼくも長い間、悔い改めざるマック・ユーザーだった。今はまた、大学に籍のある研究者の多くがふつうにマックを使っているけれど、いっとき、「いつまでそんなものにこだわっているの」といった批判めいた忠告を受けることが多かった時期があり、はじめてのWindowsの機械としてソニーVaioを買ったのが、16,7年前だっただろうか。

 たしかあの時、いったんは電器店の店先で、もう少しのところでThinkPadを買うところだった。店員さんに「Windowsは初めてなので、言語の設定がわからないので教えてくれますか」と言ったら、そのひと、奥に引っ込んだまま出てこなかった。で、なんとなくThinkPadは買いそびれてしまったのだった。言語の設定なんて、ちょっと調べりゃできるので、迷わず買っていたら、ひょっとして違った人生だったかもしれない。

 大学院でいっしょだった人がThinkPadを駆使していたし、当時、IBMのパソコンという点に憧れがあった。マックとならべて使うならThinkPadでしょ、という気がしたものだ。その後IBMはこの部門をレノボに売却したけれど、それでもなんとなくThinkPadのユーザーがうらやましいのは、実は今も変わらない。中古でいいから、いじってみたい気がする。店頭で見ることはもう、ほとんどないけれど。

 Vaioも悪くはなかったけれど、その後「もうマックはいいや」と思ったのは、パナソニックレッツノートを使い出してから。東京駅から新幹線に乗ると、出張のビジネスマンがずらーっとみんなレッツノートを使っている、という話も聞いたことがある。本業はそっちのけで、その種のビジネス書、一時期熱心に読んでいた。レッツノートThinkPad、どっちが優秀なマシンかとか…だからつまり、みんなと同じであることに安心していた、そんな時代の思い出。


Lenovo ThinkPad T440s Review

 

 

ThinkPad X220/230をいじり倒す

ThinkPad X220/230をいじり倒す

 

 

 

ThinkPadはこうして生まれた

ThinkPadはこうして生まれた

 

 

 

仕事ができる人はなぜレッツノートを使っているのか?

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