宵待草~〈いじらしさ〉をめぐって
はじめて糸ひきに出る子をシンコ(新子)といったが、これは小学校四年(当時の義務教育)を出たか出ない十一,二歳のまだいたいけな子供である。それでも先輩格の「おねえさん」たちから教えられて髪を桃割れにし、赤い腰巻きにワラジをはいて、荷物も一人前に袈裟掛けにしょっている姿は、それはいじらしいものであった。[…]
これ読み切れないうちに返しに行くんだが、買ってもいいな。なまじ外国語なんか読むより、こういうものを読んでおくべきだったのかもしれず、過去のことはもう仕方ないけれど、日本経済史や経営史にかかわる本は、今でもおもしろく読めたりして、自分でも意外だ。
上の個所は、身近に姪たちを見てきた身にはずいぶん応える。ぼくの一族も決してお金持ちじゃないから、せいいっぱいの支度をして子を送り出す親や身内の気持ちはわかる。つい先日、下の子を送り出したばかり。甲斐性のない伯父としてはパソコンなども、決して高いものは買ってやれないのだけれど、それを大喜びで大事そうに抱えて持って行った。まだうちには、あの子らが小さな頃来ては遊んで行ったときの、落書きやら何やら、大切にとってある。
下記の本も。終戦の年、樺太がソ連軍に侵攻されたさい、真岡郵便局の電話交換手の若い女子らが決死隊として残留し、青酸カリを服毒して自決した事件のこと。ぼくも人並み以上には知らず、ロシア語教師だったころもしこの文庫があれば、これをネタ本に一席打っていただろう。なにか野麦峠本に共通する、少女らの〈いじらしさ〉のみなぎりかたがもう半端ではない。
そうなのだ。少女と国家との関係、そこに立ち上る〈いじらしさ〉こそが問われなくてはならないんじゃないだろうか。『あゝ野麦峠』のほうには
〽野麦峠はダテには越さぬ
一つァ―身のため親のため
〽男軍人女は工女
糸を引くのも国のため
という歌が登場するが、『永訣の朝』のほうも、
「わたしは決死隊として残ることにしたけれど、あなたはどうするの。お父さんもいるんだから安心でしょう。必ず帰すから一緒に残らない?」
「わたしも残ります」
といったやり取りが登場し、なんかこのあたりをパラパラ読んでいるだけで、もうなんだかたまらなくなる。
いつだか、高校の文化祭の仮装パレードに行きあったとき、都会の子らに比べてあか抜けない、小柄な女子たちを目の当たりにして、やはりその〈いじらしさ〉にふいに打たれて、数日ショックを引きずっていたことがある。
で、以下のものは未見だが、手に入らないかなあ。