渡良瀬橋
高等教育が進歩の過程にある間は、人はそれも基本的な読み書き能力の発展の延長に過ぎないと考えていることができます。しかし、皆が皆、高等教育を受けるようになるわけではなく、なかには初等教育の先にすら進めない人がいることに人々が気づいたら、何が起きるでしょうか。人々の中に、格差を当然視するものの見方が芽生えるのです。高等教育の発展がもたらした結果の一つは、平等が当たり前でなくなり、社会の根幹部分に人間は平等か否かという疑問が再び現れるようになったことです。(138ページ)
- 作者: エマニュエルトッド,柴山桂太,中野剛志,藤井聡,堀茂樹,ハジュンチャン,Emmanuel Todd
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/06/20
- メディア: 単行本
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エマニュエル・トッドの執筆部分。明晰でするどい。読み書き能力の普及は必然で押しとどめることはできない性質のものだが、高等教育はそれとは質的に異なっていて、ある時点で社会の中に不平等をふたたび呼び込んでしまう、ということだと思うが。
不平等はいま「格差」という言葉に置き換えられて常用語化しているが、以下を読んだ時も、高等教育の発達による不平等の固定化についていろいろ考えさせられた。
ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体 (幻冬舎新書)
- 作者: おおたとしまさ
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2016/01/29
- メディア: 新書
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この本で言われているのは、高校別の東大進学者数の統計はあまり意味をなさず、どの高校の生徒であっても、特定のエリート進学塾出身者が東大の医学部・法学部に進み…といった話。
そうした塾では中学の頃から、高校三年までの数学や英語といった主要科目を何サイクルかこなして、かろうじて…とか幸運にも…とかではなく、確実に東大医学部・法学部に合格する学力をつけるんだそうで、地方の子供や貧困層にはそんな道は閉ざされているのだから、たしかにこれでは教育の機会均等もへったくれもない(別にうらやましいという意味ではないよ)。
姪の高校の文化祭を観に行ったのだけれど、むろん有名校でも一流校でもない。それでもそろいのTシャツを着てクラスで団結して気勢を上げ、芝居に合唱に模擬店に走り回る子たちを見て、この子らがみな幸せになるようにと願わずにはいられなかった。