俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

All the Things You Are in C#

 こういうこともあった。語学研修の説明会で、アメリカから来た担当者に対して「何か資格が取れますか?」と質問をした学生がいた。アメリカ人担当者は困惑したように、「資格って、たとえばどういうことですか?」と質問をした。学生は「コンピューターでも何でもいいんですけど、科目をとったら資格が取れるのか、ってことです」と答え、アメリカ人はまだ理解できず「何か目的があって証明書が必要なのですか? 大学で勉強して、資格って、どういうこと?」と聞き返し、話がまったくかみあわなかったことがあった。

 

TOEFL・TOEICと日本人の英語力―資格主義から実力主義へ (講談社現代新書)

TOEFL・TOEICと日本人の英語力―資格主義から実力主義へ (講談社現代新書)

 

  このあとすぐ、名門女子大が資格試験予備校に委託した講座を正規のカリキュラムとして開講し、簿記、秘書検定、公務員、税理士、情報処理などに対応した演習が卒業単位として認められることになった、と続く。それが2000年代あたまのことだ。

 ぼくは10年以上、実用的価値とあまり関係のない文学専攻の語学教師だったから、こういう風潮をただ苦々しく思っていればそれでよかったのかもしれないが、そうとも言い切れないところがある。それは俗にダブルスクールと呼ばれる習わしに関係する。

 ぼく自身のことはもうどうでもいいのだけれど、当ブログを読み返すと、おととしあたりから、簿記検定の一級を取りたかったけれどあきらめた最初の大学時代のことを書いている。最近は最近で、民法なんかをがっちりやって行政書士宅建をとっておけばよかった、とも書いている。

 断っておくが、ぼくはそうした方面の仕事にきわめて不向きな人間で、たとえそうした資格を取っても、それを生かして実務家として成功していた可能性は低い。どっちみち語学/文学をやる方向に転換していただろう。それでも、経済専攻の学生が簿記一級を目指していたら、大学の中にそれに対応した指導の体制があるとどんなに素晴らしいかと今でも思う。

 最初の大学は、ほんと、トコロテン式に出ただけだった。卒業式を終えて帰郷したぼくは、ふつうの会社への就職を決めていたけれど、思った勉強ができたという満足感もなく、「簿記一級を目指したけれどダメだった」「簿記一級があれば税理士試験の何かが免除になる(この点記憶が不たしか、違っているかもしれない)」と、母に言った。母はひとことうめくように、「会計士の免状ぐらいもらってくると思ったのに」とだけ言った。

 貧乏な田舎の家に育ち、中学しかでていない母は、大学の授業ではそういった資格試験に即応した指導は行われず、それを目指す者は別途、高い金を出して資格試験予備校に通う、という世の中の仕組みを知るはずもなかったし、知ったところで、絶望的に理解不能だっただろう。

 今でも忘れることのない瞬間。大そうこたえた。

 二度目の大学へ行ったとき、ぼくは最前列で講義を聴く学生になったけれど、教授にちょっとでもこちらの知力を見くびるそぶりがあると大喧嘩をするようになったのは、明らかに行きすぎで、たいへん申し訳ないことだった。それも、この時の母の一言で受けたショックの反動だと思っている。


Charles Mingus - All The Things You Are In C Sharp