おおブレネリ
娯楽雑誌小説の文章を読んでいると、正しい日本語は、翻訳家、特に女性が受け継いでいるように思う。
この文体の天才が逝き、手もとにあったはずの数冊の文庫本が出てこないのに業を煮やし、つい悪い癖で今ふうに言うと「ぽちった」のがこの古本で、断酒を言いながら缶ビールに手を伸ばして泥酔し、寿司店商店街ホテルのロビーでなまめかしい女性を物色しという生臭さには辟易しつつもああ作家ってこういう人たちだよなと70年代にこの人たちが売れに売れていた時代が今さらながらなつかしく、なつかしいというのはあんな時代は二度と来ないどんどんいろんなものが終わっていくという感覚なのではあるが、それにしてもこちらはもはや酒は一滴も飲まない身ながらかつては昼酒ほどうまいものはないと信じていたどうしようもない酒飲みの端くれだったのではあって、あれも俸給生活者としての自分の信用を大いに落とした元であるのかと今さらながら納得し、もう酒は飲まないが昼風呂などということはよくあり、夏は夏で暑さをしのぐため、冬は冬で冷えた体を温めるため、午後二時半ごろから風呂を浴びるということはあるのであって、そういえば2月3月にもなれば日あしが伸びて窓に差し込み午後おそく世界がきらきらと黄金色に映えるのを味わいたいがために早風呂をするなどということもあって、この大先生のように「オスマン風呂」に通う趣味や習慣を持たぬ身としては風呂のたのしみと言えばもっぱら脱衣場でラジオをかけ放しにして湯船にすくむことくらいなのであった。