埴生の宿
たしかに、戦後日本は外国文学を理解することには熱心でも、当の外国における文学者もまた自らにとっての外国文学に惹かれてきたという端的な事実を捨象する傾向にあった。
たまさか昨日今日と英文学の大家の著作を引いてはいるのだが、それはこのたいしてやさしくない著作が文学理論一般についての理解を深めてくれるからということは無論あるのだが、それにもましてこの仕事が、著者の「自分自身のための理論的再教育」のためになされたといういささか感動的ないきさつがあるためであって、よほどぼんやりした者でない限り大学院で学位を取得した後も少壮の学者というものはより高い水準に自分を高めるためそうした研鑽を決して怠らないという事情をこんなところから教えられもするのである、いやそれにしても勤務のかたわらそういう時間を確保できるのだからやはり東京の一流大学は違うなとも思ったがなにより知的鍛え方が違うのであり、あまりしつこく言い募るのもなんだが一日二〇頁原書を読む余裕というのは時間にすればざっと一日90分と言ったところであろうがこれは語学力との相関で決まってくることでありこの先生などは90分捻出できれば50~60頁は軽く読み進んでいるのではないか。地方にはそれだけの語学力を持った語学教師というのはまずいないから目指すべき無限遠点としてすらそうした存在を念頭に置いて勉強する一時期をもてない、いやあくまでそれは自分の場合がそうだったのであって難解なテクストをとにもかくにも読み通してしまうという営為は同じ学舎の中でたしかにおこなわれていたのだ。露文の大学院に進みながら自分がまずやったことと言えば洋書店に英国の小説を買いに行くことでありその時点で大学院の意味をはき違えていると言われても仕方ないのではあった。今さらながらソルジェニーツィンなど読みつつあの頃の同学の士たちはどこの空の下かとそんなことを思う冬の日。