五木の子守唄
うちは貧乏な家庭だったから(今でも貧乏だけれど)、世が世なら(追記:時代が30年くらい違っていれば)、ぼくも小学校を終わったくらいで奉公に出されていたんだよな。これは仮定の話だけど、実感もないわけではない。母は戦後教育を受けたけれど、中学では英語と家庭科が選択科目で、進学しない女子は英語をとらせてもらえなかった。勤めを辞めて老母と暮らすようになってはじめて気づいたけれど、じっさい戦後教育を受けた者なら当然知っているべき多くのことを、母はまったく知らないので驚かされる。
母だけでなくぼくもそういうところがあり、お勤めにありついても、ホワイトカラーの暮らしというものがついに理解できなかった。なんていうんだろう、おもてむきさまざまな義務は果たしつつ、絶えずこまかく計算してる、あの感じ。むかしの話だから、もういいんだけれど。