Cold As Ice
菅季治[かん・すえはる]が死をとげたちょうどそのころ、私は北海道東部の小さな炭鉱の労務課員として働きながら、落魄の思いで日々を送っていた。
一九四五(昭和二〇 )年、日本が無条件降伏の声明を出した八月一五日以降も、樺太では、北緯五〇度の国境線を突破し、無法の進撃をしてくるソ連軍と日本軍との間で小さな戦闘が続いていた。
逃げまどう避難民でごった返していた現地で応召解除になった私は、帯剣も階級章もない兵隊服のまま避難民にまぎれこみ、夜陰に乗じて大泊から脱出する小さな民間船に乗りこんだ。海峡にはソ連の潜水艦が徘徊し、日本船を片っ端から撃沈しているという噂が流れていた。北の海は夏でも黒々として、夜の海峡はどこまでも闇に包まれていた。潜水艦襲撃の恐怖はあったが、私は万が一の生還の可能性に駆けていた。そうして、ほうほうの体で北海道に渡ったのだった。
だがやっと日本にたどりついたのもつかの間、まもなく私が勤めていた軍需工場が閉鎖になり、老いた父と母を抱えて生活の糧を失った私は、いますぐ住む家にありつける道東のとある炭鉱にもぐりこんだ。山峡の一棟四戸、六畳二間の長屋の一隅で、荒廃した敗戦後の世相を見つめながら、私たち一家はひっそりと息づくような日々を送っていた。父や母は、貧しい生活の中から兄と私の二人を苦労して遠方の専門学校にまで出したのに、いまになって何故こんな惨めな目に遭わねばならぬのかと、誰に当たればいいのかいいのかわからぬ憤懣をぶちまけていた。満州にいた兄は終戦間際、関東軍の根こそぎ動員で狩り出され、敗戦の後にシベリアに抑留されて、しばらくはその生存さえ摑み得なかった。
この夏、この本を読んで、いろんなことを考えました。
一九九八年の刊行。すぐ買って、当時の研究室の本棚にずっとあった本。いや、それは人に貸したきり帰って来ず、これは札幌の南陽堂書店のラベルがあるから、買いなおしたんだっけ。
そのころ読まなかったのは、忙しかったのもあるけれど、予備知識もぜんぜんなくて、読んでいたとしても、細かい部分はわかんなかったんじゃないかな。予備知識というか、どんだけリアリティとアクチュアリティを感じ取れるか、という部分で、自分には大いに素養が欠けていました。
上の部分は菅氏のことではなく、本を書いた平沢是廣さんの自分語り。こういう部分も、今読むとすごく生々しくわかる。
古道具屋でアナログ盤二枚。ダイアー・ストレイツの三枚目とフォリナーのファースト・アルバム。フォリナーのほう、針飛びがあって、値段も値段だし、仕方ないか。
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