In Bed with Madonna
「まだご存知ないかなもし。ここらであなた一番の別嬪さんじゃがなもし。あまり別嬪さんじゃけれ、学校の先生方はみんなマドンナマドンナと言うといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」
「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思った」
「いいえ、あなた。マドンナと云うと唐人の言葉で、別嬪さんの事じゃろうがなもし」
「そうかもしれないね。驚いた」
「大方画学の先生がお付けた名ぞなもし」
「野だがつけたんですかい」
「いいえ、あの吉川先生がお付けたのじゃがなもし」
「そのマドンナが不慥(ふたしか)なんですかい」
「そのマドンナさんが 不慥なマドンナさんでな、もし」
「厄介だね。渾名の付いている女にゃ昔から碌なのは居ませんからね。そうかも知れませんよ」
「ほん当にそうじゃなもし。鬼神のお松じゃの、妲妃(だっき)のお百じゃのててて怖い女が居りましたなもし」
最初の大学のころ、四年目になってできた友達が、輸入レコードを買いまくるマニアでした。しかも、プロデューサーの名前を見て無名アーティストを買う、というタイプ。そいつが、「これマドンナっていうんだけど、なかなかかっこいいよ」と見せてくれたのが、ブレイク前のマドンナのファーストアルバムでした。音が、かなりクロいな、と思ったのを憶えています。
コケット、という言葉がありますね。媚をもてあそぶと書いて、「弄媚女」などという訳語があてられたりするはず。マドンナの特異な美貌と性的魅力がこの30年にこの世界に残した刻印。われわれのまなざしは時間的にはるかに先だつ漱石の作品にすら、遡及的にその刻印を探し求めようとする。正義漢の数学教師の話だった『坊っちゃん』が、一人のコケットをめぐる欲望と所有の冒険譚となってゆく…